1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

No.5 願い事が毎日変わる面白さ

今年の初詣では何を願ったでしょうか。初詣は、普段お寺や神社でお参りする時とは違って、特別な感じがします。今年一年にわたるお願い事をするからでしょう。

ただ、そんな大それたお願いをしても明後日には忘れてしまう。覚えていられる人は、毎日、その言葉を胸の内で復唱できるからだと思います。

毎日復唱するなんて、僕にはできません。明日またお参りに行けば、願うことが変わります。一生懸命願っても、結局自分がその時願いたいことを願うし、段階的に願おうとするといつ叶うのか途方に暮れてしまう。それならもう何も願わず沈黙しようとするけど、沈黙していると損をしている気持ちになる。

やはり、願わないわけにはいきません。昨日も今日も復唱はできないにしても、今日とて明日とて願ってみたくなるものです。

ずっと同じ願いでなくていいんだと思います。むしろ、毎日変わる方が面白い。明日の自分が何を思うのか、今の時点ではわからないのです。

例えば、今もしお参りに行けば、仕事の成功を思うでしょう。でも明日またお参りに行けば、彼女が欲しいと思うかもしれません。

そんな僕は、こんなふうに願います。鈴を鳴らし、手を合わせて、お賽銭箱の前でスーッと立つ。そこまで心の中は空っぽです。それで少し間を置き、ぽそりと自分の願いを聞くことになります。

まるで、霧がかった森の池から、ぽちゃんと、消息不明の音がするような感じです。

音は霧の中に紛れてしまうように、出てきた願いも余韻だけを残しながら心の中に消えていきます。その時、忘れたくないという気持ちにはなりません。忘れていいんだとも思いません。ただ自然に忘れていくのを、ただ澄ましていくだけです。

そして、ようやく瞼が開き、踵を返し、境内を降りていくのです。

 

願いは、胸の内に宿りません。願いは、その歩いて向かう、門の外に待っています。だから、それまでの願いは境内に置いていった方がいいのです。同じことを願うためのお賽銭は、残さない方がいいのです。

無銭でお参りする。その方が、自分の予想のつかない思いが、またやってくると思うんです。