No.10 ベンチだからみえる景色〜いろんな自分が手をつなぐ〜
精神的に疲れた時ほど、公園のベンチは落ち着きます。
特に僕が好きなのは、道中のベンチではなくて、広場にあるベンチです。
座ると、ブワァ〜っと広さ一体を眺めることができ、ボーッとできます。
木が並んでいて、トイレがあって、水道があって、出入り口がある。特にこれといってみるものがないけれど、目の暇つぶしになります。逆に、家にいると気になるものがたくさん置いてありますから、目移りして休むことができません。
公園はいい感じで集中ができない所です。
ただ、自分以外の人が入ってくると気になってきます。
犬の散歩かな、寒そうな服装をしているな、なんかこっちをみてる気がするな、等々...いろいろなことを考えてしまいます。さっきまでボーッとしていたのに。
頭が忙しくなるのは、今、ベンチに座っている自分と比較しているからです。犬の散歩という用事がない自分、気温の変化に適した服を着ている自分、相手をみている自分。色々な自分が、顔を出しているのです。
せっかくなので、もっと顔を出してみないでしょうか。比較するきっかけは、自分が何かをみたからです。そこで、人以外をみて、自分と比較することもできます。
例えば、並んでいる木をみます。自分と比較しましょう。
僕は、あのうちの一本だ。隣の木はまっすぐ立っているが、僕は少し斜めに立っている。枝が伸びて、隣の枝の根元にかかっている。まるで、隣にもたれかかってるみたい。
こんなふうに、意外と知らなかった自分を発見することができるかもしれません。
みるときのポイントは、目に留まったものを、自分だと見立ててみることです。並んでいる木の一本を、自分の体に見立てる。トイレの流れる部分を自分の口に見立てる。水道を自分の涙に見立てる。出入り口を自分の心の広さに見立ててみる。
そうやってみると、さっきまでボーッとしてたのが、だんだん楽しくなってきます。自分が、いろんなところに顔を出してくるわけですから。子どもが何かを発見して指差すみたいに、あ、僕だ!って言ってしまいそうになる、そんな喜びです。
自分がいっぱいいることがわかれば、ホッとした気持ちになります。自分は1人ではなかったという安心感です。
それも、他の人と手を取り合っているからではありません。いろんな自分と手をつないでいるからです。
公園のベンチに座ると、僕たちはいつも、落ち着くことができます。
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