No.5 ネコが歩くところ
自分には、ネコになりたいという欲望がある。
でも、今の自分はネコではない、未熟者である。
ただ、ネコでない状態のまま、こうして生きてはいける。
ネコの気持ちをもたないことが、悪いかのように聞こえてくるのはなぜか。
ネコはマイペースで、冷たいようでツンデレのところがあって、猫動画は癒される。ネコは悪い生き物ではない。
悪い生き物ではないから、この生き物のことを考えないことが、マナー違反であるというのであろう。
もともと、そういうところから、この文章を書き始めたのだった。そのきっかけは、あの通勤ルートのネコだった。
今日は、帰り道、あのネコがいた。
特にお互い会話は交わさず、僕はほんの3秒ぐらい、じっと眺めただけだった。
その時の様子をもう少し思い出してみる。
彼は、丸くなって、そこで1、2時間は座っているような感じだった。
その間、何をしていたのだろう。たぶん、何もしていないのである。
「何もしていない」
このことは、未熟者である僕には到底達成されない。
ネコになるには、誰しもその道を通らなくてはならないが、ここのハードルがかなり大きい。
問題は、遠目で見ると意外と低そうに見えるこのハードルが、近づいてみるとかなり高いことだ。だから、つまづく。だから僕はまず、このハードルの高さをある程度測っておく必要があると考えた。
最初に注意されたいのは、猫と入っても、家で寝ている猫ではないということ。
僕の知っているネコは、家の外でじっとしているのである。
さて、ネコがじっとしているその周りには、何があるのか。
ネコは、じっとする場所を選んでいるのか。
ネコはまず、足を出していない。お腹の中にしまい込んでいる。
足が冷えるところは、ネコもよくないのだろう。
ネコはまた、目を開いていない。細目になっている。
風当たりが強いところは、選ばないんだろう。
ネコは次に、尻尾をペタンペタンしている。
身体のどこかは動かせる広さが欲しいのだろう。
広さ、風が穏やか、暖かい床、これらがネコの選ぶ場所である。
人間でいえば、こたつのような場所だろうか。人1人以上のスペースがあり、布団の中は暖かい熱が出てくるし、もちろん暖かい。人はコタツに入っている時、ネコに近づくのかもしれない。
では、コタツで人間は何をしているのか。
基本的には、ボーッとしている。テレビを見ている、みかんを食べている、宿題をしたりしているが、腹の底では、ボーっとしている。
コタツという場所は、ボーッとができるところだ。「何もしていない」。
しかし、これでもネコになれたと勘違いしてはいけない。
コタツで何が起きているのか、もう少し考える。
肝心なのは、机の上で何かはしているのだが、机の下では、ボーッとしているということだ。
机の下は、無防備である。
足元は、ただただ熱に包まれている。
そのままずーっと足を入れていると、急に熱くなって、コタツから引き出すことがあるだろう。
その後の足は、ジーンとする。足が痺れたのではなくて、暖かい足サイズの布団のようなものが、足に絡まる。
そのまとわりついたものは、膜のような厚さを持っている。
膜は、コタツから出た寒さから守ってくれる。
ほんのわずかな時間だけれど。
ただその一瞬でも、膜化した足にすっと集中することができる。
この時間が、ボーッとすることの本意である。
ネコの「何もしていない」のヒントがここにある。
つまりネコは、冷たさを感じる暖かさという温度差に、注意を注いでいるのではなかろうか。
外だから周りの気温はよく変化する。その度に、ネコを包む温度差は変化する。その変化に追いつくだけで、かなりボーッとできるのではないだろうか。
翻って、僕にそんなことができるかというと、難しい。
しかし、ここまできたのだから、実際にやってみたい。
そこに、ネコがやってくる。
ネコは僕の前で立ち止まる。
じーっとこっちをみている。
僕は、一瞬、石か何かのように見間違えた。
何か、頭を切り替えなくては、ちゃんと元の姿を捉えられない。
切り替え方があるはずだ。
まず、僕の頭をなんとかする。次に、ネコの頭にアクセスする。
僕は今、ネコになろうとする気持ちでいっぱいだ。
しかし、姿勢だけではダメである。
ネコの方から、僕をみなくてはいけない。
ネコは、僕を見下げている。
僕が猫を下にみている様子がみえる。
つまり今は、上から眺めている。
そこから真下にいる猫の頭にアクセスする。
とたん、視界が白光した。
僕の姿が、一つの魚眼レンズをみているように歪んでいる。
そこは、水槽の中のようだった。
どうやら、温度差の膜というのは、ちょうどこの水槽のガラスと対応しているようだった。
周りの温度が変化するたびに、このガラスは少しずつ歪み、形を変えている。
そのまま、目の前に映る僕の方に近づいてみる。そうすると、ガラスの空間も一緒に動く。
動くと同時に、ガラスの中の透明な水が、ぬらりと同じ方向に揺れて、ついてくる。
すると、ガラスに反射する世界と、正面にぶつかる水に映る世界が、ずれて重なる。
「グポッ」と、音がした。
その時、足が浮いた。
重力がなくなる。魚の心地になる。
どうやらネコの身体は、魚のように軽かったらしい。
「ネコの歩き方」シリーズは、下記の欄からご覧いただけます。