1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

春は果たしてあたたかいのか

「犬か猫どっち派!?」と質問するより、「春夏秋冬どれ派!?」と質問する方がずっと面白いと思う。

僕がもし同じように聞かれたら、春には一番なりたくないと答える。そもそもどれ派って聞いているのに答えてないじゃんと思うかもしれないが、まあそこらへんはテキトーなので是非聞いてほしい。

春といえば、桜の時期である。卒業式の三月、入学式の四月である。あの頃の始まりがすでに終わって、別の始まりが起きつつある時期だ。つまり、終わりの前後に二つの始まりがあるサンドイッチのような時期だ。

だから、春は終わりが重要な中身なのだが、どうも、外みの始まりだけが写真映えしてしまう。例えば、先ほど例で出た卒業式。体育館で一堂が集い、卒業ソングを合唱、一列になって退場していく。退場した後は、写真である。卒業記念写真である。最後だからということで、普段一緒に撮らない友達ともガンガン撮る。思い出の写真ということだそうだが、あまり話したことがない人から思い出と言われても困る。僕にとっては、その人と写真を撮ることが最後にならないからだ。いい意味ではなく、単に最初がないということ。喋ったことがない人には最初も最後もないのだ。こうして、卒業写真には初めての最後が封じ込められる。

初めての最後は、新しく着る制服にも込められている。その制服は、初めて買った瞬間に、もう着終わる瞬間まで想定されている。それは、賞味期限のようなものである。始まりと同時に、終わりが決められている。終わりは伸びることがない。〆切は絶対である。

春が訪れるとは、もう春が終わることがセットになっている。春を味わえば、もうリミットが動き出す。春が終わるとはどういうことか、それを味わうスキがないのである。果たして、僕は卒業しているのだろうか、もしかするとまだ制服を着ているのではないだろうか、あの頃の賞味期限は間違っていたのではないか、僕はまだ〆切に間に合うのではないだろうか。

そんなことは考えてもいいことだろうに、春はただあったかい季節として、冷たく過ぎて行く。これからあたたかくなってくる。その春の芽も大きくなっていくことだろう。

 

今週のお題「あったかくなったら」

 

*同じアカウントで、別のブログに投稿していた内容です。