1ルーム

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素数を食べてみた [数学に直感する No.1]

素数とは何か。それは、1とそれ自身の数でしか割れない数である。

2、3、5、7、、、、その数を、美しいという人がいるが、僕には何が美しいのかわからない。

でも、不思議な感じがすることは確かである。

その感じを、これから僕なりに掴んでいこうと思う。

 

僕が今わかっている、素数の基本的な意味は、

 

素数は、1とそれ自身の数でしか割れない

 

ということである。ここから始めよう。

本当に素朴に、僕だけの感覚かもしれないが、1とそれ自身の数しか使えないなんて、まず数としてなんて素直なんだって思う。素数は素直である。素直なのはいいことなのだ。それに対して、4、6、8、なんてのは、ちょっと割れる数が多いのではないか。もう少しシンプルにしてくれていいと思う。その点、やはり二つの数でしか割れない素数は、割り切っていていい。

 

素数は、素直である

 

しかし、二つの数があることが、果たして素直なのか。素直というのは、素朴に一直線のようなことをいうのではないか。しかし、素数にはやはり、素直な感じが残っている。一つに二つではなく、一つがあるから二つのような感じがしている。

では、素数にとって素直であるとは何なのか。

 

「私は素数、私は1と3でしか割れない正直者です。」「いや君、正直者であるなら、割れる数は一つでなくてはいけないのではないか。」

「僕は素数という者でございます。1か5かで割る選択ができ、時に、どちらも同時に選べたらと、身勝手な願望を抱いています。」「身勝手さがわかっている点では好ましいところがあるね。でも、どこか自分に酔っているのではないか。」

「自分は素数です。とりあえず1と7でしか割れないと公言していますが、それはタテマエで、ホンネは違うところにあります。」「ではホンネはどこにあるのかね。」「ええ、自分は素数自身であるため、その謎を解くことはできません。」

 

いろんな素数に出てきてもらった。彼らはみんな素直であることは確かであるが、どうもつまらない。彼らはもしや、素数をそれ自身で割るという方に、自負があるのではないか。つまり、「私」、「僕」、「自分」は、それ自身で割れる数であることを強調したがっている。

そこで今この雑な文章を書いている僕は、1で割れる数であることに目を向けたい。

それ自身の数である彼らは、色々葛藤していた。自分は、たくさんであると言いたそうだった。それに対して今、1であると言いたい。その1とは何だろうか。たくさんなのは量が、である。それに対して、1は量がない。例えば、ピザを切るとたくさんの量になるが、ピザ自体は1で量がない。そして、その1であるピザから、切った後のたくさんのピザを食べている時は、ピザの味を感じている。

ピザの味ということ。この味が、おそらく、全く直感だが、素数自体であり、二つの前に一つがあることの正体であり、素数のホンネである。

量がないことから(1で割れる)、量がたくさんになるのは(それ自身で割れる)、ピザを食べるからである(素数)。つまり、食べることというのが、素数的なのであり、素数自体は、その食べている時の「〇〇の味」のことなのである。

 

素数とは、一つを切って、食べれば、その一つの味がすることである

 

みんな一人一人、朝昼晩、食事をする。その時、みんなは食べている。何を食べていようが人それぞれだ。食べ方も人それぞれだ。しかし、食べているその営みは、誰しもが同じなのである。その意味で、ある人は素数を美しいと言いたかったのか。またある人は、素数は素直だと言ったかったのか。僕は、素数を素朴に思う。