1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

【長編】冒険の神話(8)

船自体はそれほど大きくなかったが、操縦室と、その奥に倉庫部屋があった。

操縦室の窓ガラスは割れており、そこからハンドルが剥き出しになっている。

僕はその部屋に入った。そこにはたくさんのボタンがあった。船を操作するのに、これほどの数が必要なのだ。木でできた船であるのに、ボタンだけは網目のように置いてある。

数あるボタンの中で、僕でもわかったボタンは、緊急用のボタンだけだった。けれど、それを押したらどうなるか。

操縦席のすぐ後ろには小さなテーブルがあり、食べ物の包み紙と紙コップが残されていた。どうやら彼らはハンバーガーを食べていたらしい。金持ちだなと思いながら、その包み紙をとる。ケチャップは乾いているが、かびているほどでもなかった。そういえば、船全体もかびてない。おそらく座礁したのは、二日前ぐらいだろう。

操縦室を一通り見て、丸椅子に腰掛けてクルクルしていたところ、奥にまだ扉があることに気づく。倉庫部屋ではない。倉庫は操縦室の隣に付属してついているから、外にある。

僕の今目に入っている扉には、燃料室と書かれてある。そうか、この部屋は木の動力源となるところにつながっているのか。

ドアノブを握った。しかし鍵がかかっている。ガチャガチャ押したり引いたりしても開かない。そこで僕は、思いっきり蹴り上げた。すると今度は穴が空いて、足が挟まってしまった。手でドアを押さえ、足を勢いよく引っ張り出す。なんとか抜けた。そしてそこには穴だけが残った。

そこから手を突っ込み、ドアノブの鍵を裏から開けた。開くと、そこには階段が続いていた。本来は真っ暗いところだったろうが、座礁したせいで光が差し込んでおり、階段も4、5段ぐらいだとわかった。

 

降りていくと、そこには何もなかった。この船は、どうやって動いていたのだろう。僕が降り立ったところは、大きな空間になっていた。しかしよく見ると、歯車の割れたようなものがちらほら見かける。壁を手で伝って歩いていくと、砂に埋もれて見えなくなっていた四角い窪みも見つける。きっと、歯車時掛けの機械で動かしていたのだろう。でもその本体の機械とやらは、海に流されてしまったらしい。

座礁した船は、先頭を海岸に突っ込むように乗り込んでおり、その後ろが、海水に浸かっていた。だから、船底の尻尾の方には、海水の水たまり。

割れた破片から入ってくる光の加減が、幻想的な風景を伴って、水たまりを演出していた。そして、そこに近く、割れていない壁の方に、うっすら、影が見えた。誰かいる。

真っ暗い、真っ暗すぎて、みえてしまう影が。

 

容易には近づかなかった。まず、できる限り離れた。先頭の方に移動した。そして、差し込む光を頼りに、目を凝らしながら、その影の姿をみつめる。

やはり、それは影でしかなかった。影が、影自身として立っているそれだった。

影は、ずっとそこで待っていたのか、僕の方に近づく気配を見せる。ゆっくり、残像を残しながら、壁づたいにこちらに近づいてくる。僕は彼とは対照的に、横に足を動かしていく。怖かった。影を見るのは苦手だったのだ。それも、実体のない影である。それは、正真正銘の影じゃないか。

向こうからは敵意を感じる。僕は、こいつとやり合わなければいけないのだと思った。お互い牽制しながら、船底をぐるぐる回る。

向こうは、手に長い槍のようなものを持っている。僕の方は武器を持っていない。このままだと、こちらの分が悪い。武器、武器、武器…。

足元に歯車が当たった。僕にはこいつしかいない。盾ぐらいにはなるだろう。あとは、殴ってやるしかない。僕は、横ばいに動くのをやめ、立ち止まった。

影も歩みを止める。そして、何秒かの沈黙が流れた。お互い、覚悟を決めたようだ。足音もなく、一気に距離を縮める。

影の方は槍を振りかざし、今にも僕の胸を突き刺そうとしてくる。僕の方は、半歩後ろに足を退き、盾で胸の辺りを覆い、槍の衝撃を受け流そうとする。

カチン、と音がして、槍の力を盾が追い出した。そのまま勢い余った影の顔が、こちらの顔に迫ってくる。僕はこの隙を狙い、左拳を全力で固く、遠心力をふんだんに用いたパンチを喰らわした。よく見えなかったが、きっと頬に当たったに違いない。影のくせに、弾力のある雲に触れるような感触だった。影は頭から飛んでいき、床にそのまま叩きつけられた。

 

影は弾け飛んで散り散りになった。その跡に、真っ黒い渦のようなものを残していった。海流の潮とは違う。反対方向に回る渦。ぐるぐる回転しているというより、時間にタイムラグがあるかのような、断続的に流れていくような感じ。

僕の足元には、先ほどの影よりもっと奇妙な現象が起きていた。その渦は音も出さない。けれど、この薄暗い世界とは別の世界につながっている。ここに入ればどうなるかわからない。身体が分解されて、今のままではなくなってしまうかもしれない。そうしたら、僕が元々どんな人間であったのかすらわからなくなってしまうかもしれない。ルーツがなくなってしまう。ルーツを辿る可能性がなくなってしまう。

自分にとって都合の悪い時にだけ、ついつい、過去の秘密を持ち出そうとしてしまう。人間の悪いクセである。そうやって持ち出すのは、だいたい未知のものが現れるからだ。

向こうが知りたい。欲求に駆られた。体の隅々から、電光が走った。自分には、手の指が十本、足の指が十本ある。これまで何も欠けずにやってこれた。だから大丈夫、大丈夫だ。
よくわからない思考のまま、自分の背中を押そうとする。しかしまだ、足が動かない。明らかに、それは異様なのである。

これだけ渦巻いているにも関わらず、この世界の砂埃ひとつも吸い込んでいない。ただ、ズレながら回っているだけである。

じっと眺めていると、渦に重なって渦があるようにも見えてくる。そしてその渦は、ただ流れとして見えるようなものではなかった。

それは何かの死骸から構成されていた。影が弾けた粒々のようなもので、それらはできている。細かく、鱗のように敷き詰められている。周りには龍のようなものが、そこで永遠と旋回しているようにも見える。

渦はますます得体の知れないものになってくる。それまで黒粒だったのが、赤色や黄色、そして緑色まで混ざるようになってきた。それらの粒は、三色セットのこれまた小さい塊を作り、他の同じ塊と衝突し合いながらも、流れに巻き込まれている。

この流れに入ることは、僕が、これらの粒々と一体化することなんだと思った。それでもいいのか。僕は、それでも大丈夫か。やっていけるのか。

足を少しずつ、渦の方に近づけていく。足先はもう、渦に触れている。なんの感触もない。静電気が走ったか。わからない。足先の感覚がない。

そして、片方の膝まで入った。渦巻く流れは感じられない。しかし、目で見る限りはバチバチ渦巻いている。

いよいよ下半身が入るところまで来た。下半身は宙ぶらりんである。今、上半身の両腕だけで体重を支えている状態だ。

これまでの世界にさようならをする。何かいうことがあるだろうか。そもそもいう相手がいるだろうか。いない。僕に親はない。僕があの森で目覚める前の記憶。そこにもし親がいたとしても、僕というのは、目覚めた後の僕なのである。だから、起きる前の僕と、今の僕とは区別すべきなのである。前の僕から今の僕に何か働きかけることはあっても、今の僕から前の僕に何か声をかけてやることはない。その必要はない。

だったら、次の僕に、声をかければいいのかも知れない。この世界で体験したことを、どこまで残せるかわからないけれど、伝えることができればいい。

しかし、それはどんな形によってか。僕は、一度渦から這い出た。そして、階段を上り、操縦室のテーブルに置いてあった包み紙、そして近くにあったペンを持った。何を書こうか躊躇ったが、あれこれ書いても書ききれないだろう。大事なことだけを書く。

それから、その包み紙を折りたたみ、船の上から海に投げ捨てた。この海が、次の世界につながっているかはわからない。けれど、何もしないよりはマシだと思った。渦と一緒に持ち込めばよかったのかも知れないが、あの紙に書いた文字は、あの渦を通ると残らないだろう。

僕は再び階段を下り、渦に下半身を入れる。

船内を見渡す。少しの間、ここの風景を目に焼き付けようとする。忘れてしまうかも知れない、この風景を。

ゆっくりと息を吐く。そして、より長い時間で、吸い込む。

腕を地面から離した。ゆるりと、身体が落ちていった。

目は瞑っていた。しかしすぐさま、身体全身に衝撃がくるのがわかった、その途端、意識が真っ暗に、眼球が裏返りそうになった。

意識を失った。