【長編】冒険の神話(4)
起き上がる。外を見る。子どもたちはそろそろ、各々のビルに戻っていったらしい。
それは、遊んでいた子どもたちだけ。
窓から見える道には、別の子どもたちがいる。遊んでいない。俯いている。
さっきの楽しそうな子どもたちとはうって変わり、そこには苦しそうな子どもたちが歩いていた。彼らの中で、マントをつけているものは一人もない。首が今にも落ちそうである。
前が見えてないからか、時々あちらこちらで、お互いにぶつかりそうになっている。実際肩がぶつかって、すいませんというように頭を垂らしては過ぎていく。ああやって下げてばかりいるから、あんなふうに猫背になる。
彼らは個性のない子どもたちだったが、その代わり、集団としての特徴というものがはっきりしていた。彼らの首からは、脊髄が飛び出るほどくっきりしているのである。
月に照らされる彼ら。その影は異様だった。ふらふら揺れる影。そこに脊髄が針のような形を加えるから、注射針のようにみえた。
月の世界はこんなにも怖いのか。とてもじゃないけれど、今日はもう、あの子を探すのはやめよう。
部屋全体を眺める。この部屋は客室のようだった。よく見れば、タンスもあるし、お風呂のようなところもある。そして部屋の隅には、化粧をする机。
化粧机には、ガラスが貼ってある。そういえば、自分の姿を確認してこなかった。僕も、脊髄の彼らみたいに、個性のない顔をしているのだろうか。それを確かめたいと思い、のそのそっと腰を上げる。
机の前につく。ガラスはとても汚れていた。残念ながら、全身が見えるほどの綺麗さではなかった。そこには、うっすらした影しか映らなかった。
自分の正体は気にならない。というか、気にするのだろうか。正体などあるのだろうか。僕は、映らなかった自分を知ってほっとしているのでも、怖くなっているのでもないことに気づいた。つまり、自分なんてものはどうでもいいのであった。
もちろん、似ている人がいれば嬉しいものの、それで自分という輪郭が足をはやして地面についても、どうってことない。嬉しくも悲しくもない。僕には、足裏の感触だけがあればいい。膝や太ももの感触は必要ないのである。
自分の身体をみる。そういえば、服を着ていなかった。何かいいものはないか。袋に目が止まった。とりあえず、袋を着ることにした。左右の手足の四つ、穴を開けて、すっぽり被るようにした。少し安心した。身体が重力を受けて、重みを増した。
その袋の裏側は、スラスラしていて気持ちもよかった。
翌朝。子どもたちのマントの音で目が覚める。あちこちで、ビョン、ビョンと鳴っている。まだ午前中であろう時間。僕は早速、裁縫道具を持って、あの子どもを探すことにした。
一階まで降りると、いい匂いがしてきた。向いのビルで、食卓が囲まれているのである。お腹が揺れた。食事をとっていなかった。
僕はそのビルの玄関口に行き、じっと眺める。そこには、テーブルを囲んで座っている子どもたち四人。マントを背中から正面に向け、ナフキン代わりにしている。
美味しそうに食べている。羨ましかった。でも、僕は食べる権利がない。ただ、突っ立っているしかなかった。
すると僕に気づいたのか、一番小さい子が僕の方に皿を持ってきてくれた。お手製スープである。中には、ジャガイモのかけらのようなものが入っていた。
僕は頭を下げ、その場でスープを注ぐ。とても冷たいスープだった。けれど、味は確かである。
ジャガイモの他に、ニンジンも入っていた。シチューのようなスープだった。僕は急いで平らげると、嬉しかった合図として、着ていた服を揺らした。他のものも、ナフキンを揺らす。お互いニコッと笑い、僕はそのビルを後にした。
さて、あの子はどこにいるのか。ヒントは縦に裂けたあのマントしかない。地面に絵を描きながら、他の子どもたちに聞いて回った。書くたびにだんだん描き慣れてきて、一つの記号のようになった。千切れかかったポストカードのような、ちょっとかっこいいデザインの記号。
それで駆け回っていると、あそこあそこと、指さす子どもに出会う。僕は急いで、その先へ行った。そこは、ビルとビルの路地裏。でもそこには、マントしかなかった。
四分の三だけのマント。これは明らかにあの子のものである。きっと残りの四分の一を、あの子は首に巻きつけたままでいるのだろう。だから、あの子がこの世からいなくなってしまったわけじゃない。と、ここまで急に言い聞かせる。
中途半端なマントを拾う。濡れていた。生ごみの匂いがした。ゴミ箱が溜まっている。ここはゴミを捨てる場所だった。そこにこのマントが捨てられていた。
あまりいい気はしなかった。あの子の個性は、いよいよ失われつつある。手に取ったマントを、ぎゅっと握りしめる。
彼はどこにいるのか。まだ探すか。もう探さないか。今僕にできることは、このマントを縫いお直すことである。
自分のビルに戻り、窓ガラスにつけてあったカーテンを引きちぎり、残りの四分の一を縫い合わせた。元の赤に、ベージュのアクセントが効いた、不思議なマントになった。
完成したマント。初めて裁縫した割には、かなり気に入った。首のところを前に括り、靡かせてみる。ふわふわと、いい振動が伝わってきた。
すると急に、みんなに見せびらかしたくなる気持ちになってきたのである。
薄暗い中、僕はビルを出た。あの子を探す気持ちなんてさらさら忘れ、ただお手製のマントを靡かせて歩いた。
それを見た子どもたちは案の定、羨ましそうに僕の方を眺めている。受けたのだ。子どもたちが知っていたマントは赤色だけだった。それが、赤色以外の色を混ぜても良いということになると、やはり新鮮なのだ。
歩く僕の周りには、子どもたちが群がって、いつの間にか、列をなすようになっていた。僕が隊長で、みんなが子分だった。僕は心地よかった。このまま向こうの山を越えて行きたかった。
すると、現れたのである。
あの子どもだ。端っこだけの赤色マント。僕は彼を見下した。だって、あんなに小さいマントだもの。それは舐められて当然である。
彼は、僕たちの行列を制した。僕の前に、仁王立ちで立った。彼は怒っている。表情が睨んでいた。
僕は無視して、進もうとする。けれど彼は、僕の前に移動して、進ませようとしないのである。何を考えているのかわからなかったが、もう会話する気持ちにはなれなかった。
無理に通り越そうとする。彼は尻餅をつく。子分たちは、彼を取り囲んで、蹴ったり叩いたりしている。うずくまる彼。
僕は急に我に返り、悪いことをしたと思った。すぐにやめさせ、彼と同じ目線でしゃがみ込んだ。彼の目からは、砂で真っ白になった涙が流れていた。ポタポタ、とめどなく、それは泥水なんかよりずっとキレイだった。
目の前で、彼はずっと泣いていた。垂れ流していた。涙を拭うことをこの子は知らなかった。側で落ちていった涙は、地面に一つの大きな月を描いた。クレーターまでしっかりと跡をつけて。
僕はその偶然に見入ってしまう。地面に釘付けになった。途端、首が締まる。彼がいない。彼はいつの間にか僕の後ろに回り込んで、そのマントを引き剥がそうとしていたのである。
喉が締め付けられ、咳き込む。苦しい。こんなに苦しいなら、マントなんて必要ない。僕は急いで、その結び目を解いた。
こうして彼は、そのマントを持ったまま、その場を立ち去っていた。盗まれた気持ちはしない。元々半分は彼のものだったから。でも、そこに工夫を入れたのは僕だった。だから、寂しい気持ちはあった。
マントのない自分が、急に一人に感じられた。気づけば、周りには誰もいない。
とぼとぼ、歩いていく。急に、僕がどんな生き物だったか気になり始めた。僕の生まれはどこなのか、僕は今何歳なのか、お父さんやお母さんはいたのか、僕はどんな仕事をすればいいのか、僕はどんな道を歩めばいいのか。これまで気にしなかったのに、急に気になり始めたのである。
気づけば廃墟ビルの街から出かかっていた。この先は山である。さらに進めば、海に出るだろう。
街を振り返る。すると、二人組の誰かがこちらに走ってきていた。なんと、あの船員たちだった。彼らもまだ、この街にいたのだった。
僕は逃げる。また噛みつかれたら大変だ。
僕はこの街から離れ、山の方へ行こう。そして、山の中でしばらく茂みに隠れ、落ち着いたら寝床を確保しよう。あ、あと木の実なんかも見つけられたらいいな。想像すると、だんだん楽しくなってきた。