1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

【長編】冒険の神話(2)

船がやってきた。この流れの横幅はそこまで広くない。このままだとぶつかる。

その船は、上流の方、山の頂上からやってきたみたいだった。木の船。何か積んでいるような。

すると、僕のぎりぎりのところで何か竿のようなものを出してきて、底に突っ立てた。ぶつからずに済んだ。

ぷかぷかと浮かぶ船の表面をみていた。木は水を吸い込むはずなのに、そして事実、たっぷりそこには水分が吸収されているのに、それが理由で、この流れから浮いていた。触ったらいけないだろう。弾けてその効力がなくなってしまう。そしたらこの船はたちまち沈んでしまうだろう。そんなデリケートな膜が、この船を覆っていた。

船員は僕の方に手を伸ばす。どうやら乗せていってくれるらしい。どこ行くかは知らない。でも、僕は今さっき水を含んだのだから、あとはどうでもよかった。

 

淡々と船は進む。ゆっくりと進む。

船員は二名である。それも、小びとのような、鼻だけでかい、動物である。

僕を乗せていってくれるのはありがたいが、今僕は何もできないでいる。船員たちは、しょっちゅうあちこちを駆け回って、せわしくなく周囲の状況、そして船体の方向がぶれてないかどうか確認している。そろそろ、大きな分かれ道があるらしい。

船員はまだ迷っているらしかったから、僕も実際みてみる。確かに、あと数十メートルで分かれている。右の奥には、小さな町があり、風車が周って、茶色のレンガ造りの家が並んでいる。左の方には、反対に、普通のビルが並んでいるだけである。観覧車が一個だけ大きく、近くに車が走っている。

僕はどちらに行きたいのだろうか。迷ってはいられない。どちらかにいかなくてはならない。船員たちも決められない。そしてとうとう、決められなかった。

 

船は乗り上げた。二つの割れ目のところでガタンと音を立てて。船底には穴が空いたらしい。尻尾の方がガクンと下がり、沈みかけている。

船員たちは慌てて倉庫室に入り、小さな袋だけを担いで飛び降りた。僕もここで待っているわけにはいかないので、一緒に降りる。

その三角州は、何もないところだった。膝下が隠れるくらいの草が生い茂るだけで、ちょっとバッタが多過ぎるぐらい。動くたびに、ぴょんぴょん飛び跳ねる。また口に入りそうだったから、お口はチャック。

船員たちは途方に暮れ、後ろをみては、もうどうにもならないのを眺めている。

船は沈んで、流れの中に消えていった。時刻は昼過ぎになっていた。

日が直接当たる。影がない。光は、くまなく全身を突き刺してくる。

井戸をみつけた。一見何もなかった草原には、茶色の丸い枠がみえた。

 

覗くと深い。ずっと続いている。どこかに通じている気がした。

手足を使い、壁を伝いながら降りていく。この井戸はずっと使われておらず、表面は乾き切っていた。おかげでぬるっと滑って落っこちてしまうようなことはなかった。ゆっくり着実に降りていく。

ちょっとの時間で底についた。水が少し溜まっている。生ぬるい水。泥水だった。

上をみると、それまで様子を伺っていた彼らも安全とみて、ロープを垂らし、下に降りてきた。薄情なやつらだと思った。

風が吹く。身体の真横からだ。見ると、洞窟のような穴が続いていた。手彫りのトンネルだ。不思議と怖くない。むしろそこからは、懐かしい匂いがした。

トンネルの中は湿気ていた。生ぬるい水が、足を運んでいく。足が進むたびに、水が一塊前に流れていく。僕は、元からすり足だった。

 

進んでいく度、トンネルは広くなっていった。最初は人一人通れるサイズだったのが、いつの間にか横に船員がいるようになり、二人は怖くてくっつきながら歩いていた。

こういう場所ほど臭いと思ったのだが、そうでもなかった。いい香りという訳でもないが、身体に良い成分が混じっている気がした。

音がするのは、自分たちの足音だけである。バシャバシャと、波が次々と打たれるように進む音。それらの音は、トンネルの向こうにかき消される。反響しそうであればいいものを、先はずっと真っ暗で、何もかも吸収される密度で満ちている。だんだん、湿気が増してきた。

トンネルの壁はゴツゴツしていた。地面を掘ってできているはずなのに、その肌触りは土のようでも、岩のようでもなかった。もっと、生々しい、皮膚のようなもの。もっと言えば、腸のようなのもの。

 

そのせいか、立ち止まって壁に手を当て、神経を集中させると、壁の奥でどくどく脈打っているような気がした。きっと上に流れている水の振動なのだろう。ポタポタ上から落ち始めた水のようなものは、消化液のようでもあった。

今から引き返すと本気で消化されるような気がしたため、ずっと奥まで進む。

足元が平坦だったのが、起伏を持つようになってくる。すり足の僕はよくつまずきかける。足裏の感覚はないから、痛くはないのだけれど、それはもう血だらけに違いなかった。

船員は相変わらず、隣にくっ付いてくる。彼らはどこに行きたかったのだろう。これから僕はどこに行くのだろう。

あまりに真っ暗が続くので、船員たちは歌を歌い始めた。歌詞の意味はわからないし、言葉があまり聞き取れないから、メロディだけに意識を集中させる。

 

彼らの歌は、決して心地いいとは言えなかった。

音程は外れているし、変な間はあるし、急に怒ったような息が入る。聞いているこっちが調和を乱される気がして、全く楽しくなかった。

それに、彼らの方も楽しくなかったようだ。彼らは歌を知らなかったのだろう。けれど、どうにか歌を歌ってみた。メロディとちょっとの言葉を加え、口ずさんでみたのだ。

これまでのおしゃべりに比べればマシだったかもしれない。ゴニョゴニョか細い音を立てるよりも、息の荒いミュージックを歌おうとする方が挑戦心がある。僕は拍手を送りたい。

けれど今拍手すると、彼らのためにはならないと思い、制した。もう少し上手くなってから歌ってくれることを願って、口にシーッと人差し指を当てた。

 

静かな空洞。雫は垂れているのに、その音すらしない。音を吸収してしまうスポンジのような空間が周り一体に敷き詰められていた。もちろん、その間を動けるのであるが、ここは空気の質が違った。空気なのかもわからなかった。溶けてしまいたくなるような、水の分子だけがほころんでいるような場所だった。

じーっと音がする。向こうで音がする。いや、振動だ。音という形でしかこちらが認識できないだけであって、それは皮膚でしか感じられない。

先が揺れていた。壁も揺れていた。それは、自分たちが揺れているということでもあった。

僕たちは、先ほどの歌のやりとりを終えてから、おもむろに足を早めた。むしろ誘われていたと思う。これまで何もなかったから、刺激が欲しかった。気づくと手を伸ばしていた。振動に、みえない揺れに、分子に。

 

ある広さに出た。振動の響きが変わったから気づいた。ドームのような場所なのだろう。ここの密度は、詰まるようではなく、あらゆる方向から小さい波が、絶えずこちらに押し寄せてくるような質だった。

ゾッとした。この壁の周りには、小さいな生き物が張り巡らされている。蝶のような、蛾のような、あるいは芋虫のような、うねうねしながらそこを動かず、羽をただただジタバタさせている。不器用だが高速に、その付け根が取れてしまいそうになるぐらいにまで、じっと震えている。その弱くて細かい運動が、これまでの振動を成していたのである。

眩暈がした。このまま膝がしゃがみ込む気持ちがした。もしここでじっとしていても、食べられることはない。向こうの虫たちはこちらに敵意を持っていない。むしろ、自分だけで精一杯なのだ。でも、僕はその姿をこれ以上感じていられない。

 

僕はこの時、目じゃないものを使って状況を把握していた。真っ暗だから、別の感覚が冴えてきていたのだろう。感覚と言っていいのか、それは五感ではなかった。第六感でもない。もっと素朴にある、当たり前の気候のような感じ。ただ、自分がそこにいるのに従っているような。だから、操れるわけではない。その一体の気をコントールするような呪術を身につけたわけでもない。ただその虫の配置が、記憶のようなものとして、僕の周りに差し渡ってくる。頭の中にあるはずの脳が、そこにはない。脳からすれば、自分が奪われたという感覚になったであろう。けれど、今立っている全身からすれば、僕はただ立っているだけなのである。ドームに立っている。それだけのことが、僕に別の電波をもたらしていた。

ジリジリ、ジリジリ、隅に虫が寄ってないところがある。階段だ。階段がある。上に登る階段だ。僕たちはそこを登ることにした。