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毎日、土日の作り方 第五章:土日の収穫場

           

 

自分の世界の作業場


 土日は、平日の中にあります。平日は基本仕事で、色々なことを考えている。ただ、その色々の中には、土日につながるようなことも入っている。そのきっかけが、すぐには意味のわからない言葉でした。
 その言葉は、自分の声となって現れてきます。それを、メモする。メモをしないと、また同じ声がやってきて、仕事の邪魔になってしまうからです。しっかり忘れるためにメモをします。そうやって、自分だけのメモが溜まっていく。
 毎日、思うことはありますから、僕の場合だと最低1つは何か思い浮かびます。例えば、「1ヶ月に1回は外食したい」とか、「一人暮らし寂しいな」とか、平凡なことでも色々浮かんできます。
 その一つ一つについて、毎日見返しては、どうなっているかという観点で、言葉を付け足していきます。これが結構楽しいので、暇があれば、見返すようにしています。発端となる言葉が出てくるのも見逃せませんから、そういう言葉が出てきた時は、さらに楽しみが増えたという感覚で、ワクワクします。この時点では、土日にすることにつながるのかは分かりません。むしろ自分の世界を作っていくことに興味がいっています。それがスマホでいつでもできるようにしていますので、僕にとってスマホは、自分の世界の作業場です。

 


はみ出さないテープ


 仕事中、言葉が浮べば、僕は一瞬手を止めて、スマホにメモする。やっていることは単純です。ですが、単純だからこそ難しいところもあります。時間的な制約はありません。一瞬でメモしたら一瞬で仕事に戻ります。
 結構コツがいるのが、言葉を言語にするときです。自分が何か思ったな、というきっかけはわかる。頭の中の口がモゾモゾするのは分かります。ただ、その声が小さい。もっとはっきりしゃべってくれ、って思う時がある。
 自分の声は聞き取りづらいのです。滑舌があまりよくない。音同士が微妙に混ざってしまって、一つの音に近くなっていることもある。なので、これを聞いた時、言葉でほぐす必要があります。
 声の塊が聞こえたと思ったら、自分が知っている言葉で言語にします。ただなるべく、その時の声に忠実に言語にしたい。違う言葉で補いたくありません。同じ意味だと思っている言葉でも、文字が違うのなら、やはりそこに入ってくる意味が異なってきます。自分の発想を大事にするなら、転がってきた声に、言葉というテープを巻いてあげたい。はみ出しがないようにしたい。

 


筒に通す声


 言葉の巻き方のコツは、なるべくその声を思い出さないということです。思い出そうとすると、やはり声とは違う、別の言葉が入ってくる。頭の中に、声を聞こうとする自分が出てくる。その自分が、別の言葉を話してしまう。
 思い出そうとすると、聞こえた声をみてしまうのです。この声は、こんな文字だっていう人が頭の中に出てくる。その人は確かに自分ではありますが、結構身勝手に発言をしてきます。
 でも聞こえた自分は、もっと頭の中全体のはずです。小さな自分に任せてもいけません。できるだけ、自分の頭自体を使います。頭で捉える。声は、頭の周りに響いて、その振動が残っているはずです。
 頭をトンネルのようにするといいです。トンネルで声を叫ぶと、フワンフワンフワンと広がっていきます。声も、そんなふうに頭に響くのです。それを聞くのは、トンネルの前に立つ小さいな自分ではありません。自分は、トンネルそれ自体です。そうやって、声に筒を通すようにする。

 


ゴロッと言語


 声は、できるだけ包みながら、忠実に言語にしていきたい。声をまるごと言語にしたい。だから、声が一回響けば、何度もその響きを辿ろうとします。これは思い出すというよりも、その振動だけを繰り返すような感じです。
 声を捉えるのには、言葉で繰り返すのではなく、音で繰り返すようにしたい。これが、思い出さないようにすることの意味です。音を大事に大事にする。その大事を繰り返します。
 感覚としては、地引網をおろしては引いていくような感じです。心という海で、何か大きな物体をレーダーが感知した。頭という船にいる自分は、その声全体に向けて、音感覚という網を投げ出す。そして、しばらく捉えたかどうかを待って、一気に言語として引き出す。
 網を投げてから、引き出すまでの、この待ち時間が重要かもしれません。声が聞こえて、言語になる時の間。この時間は、すごく静寂です。音を振動させていたのに、それが聞こえなくなってくる。音がなくなったのではありません。頭の隅々にまで音が均質に染み渡ったからです。その無音の時間を経由した瞬間、言語が、その頭の形をくり抜いたように出てくる。当たったという感覚です。うまくいけば、言語はゴロッと出てくるのです。

 


壁全体を照らす照明


 声がうまく言葉になるためには、一発でやろうとしてもうまくいきません。声が聞こえた瞬間に、言葉が浮かんで、何かしら言語にできたとしても、大抵、一回では汲みきれない。
 なぜそう思うかというと、仮に、思い浮かんだときに、言語を1回だけしか使えないとします。それでうまくいって、その言葉を眺めると、だいたい、不安になってくるのです。僕が浮かんだことは、この言語では表し切れていない、という不安です。
 不安があるということは、言葉足らずだったのです。それで、聞こえた声をめいいっぱい頭で反響させながら、その声がどんな言葉だったのか、辿ろうとします。音だけは残っている。それを反芻します。それに従って、言葉を次々あてがっていく。
 なので、僕がメモをするとき、一言では終わりません。あれかな、これかな、これでもないな、こうかもな...のような感じで、次々言葉を一行に付け足していきます。聞こえて反響した音の壁全体を照らすような、言葉の照明を広げていくのです。

 


聞き分けのある耳


 声の言語化は、音を頼りに、言葉を繰り出していきます。いつまでも続けることはありません。だいたい、これくらいだろうという言葉に行き当たるか、もう反芻する音そのものが擦り切れて、もう聞こえなくなっちゃったかのどっちかになります。
 言葉に行き当たれば、ラッキーですし、事切れてしまえば、また翌日にその言葉を見返してみたらいいのです。過ぎてしまったことは仕方がありません。でも、明日になれば、昨日の仕方が変わっているかもしれない。その声がまた聞こえてくるかもしれません。
 というように、声ごとに一行が並んでいくようにメモをしていくのですが、必ず終わるタイミングがきます。終われば、改行してください。改行することで、ちゃんと自分の世界として、その声を成り立たせることができます。だから、改行は気持ちいいのです。プチッと世界が出てきたような感覚です。
 改行は、そうやって声と声を分ける働きを持っています。これまで、声は一つずつ出てくる前提でお話ししていましたが、実は、一行を作っていく時に、別の声が混じってくることがある。別の一行にするべきだろうことが、今付け加えている一行に混入してくる時があります。こういう時は、すかさず改行をします。それで、行を二つに分けて、思いついた方からまた付け加えていく。改行ができるということは、聞き分けのある耳を持つことです。

 


理解想像の行為


 改行に慣れていくと、とっても楽しくなってきます。改行の数だけ、自分の世界ができていく。その感覚が、すごくクセになります。そうなっていくと、今度は改行をしたくなってきて、言葉もどんどん増えていく。単純に、言葉の総量も増えていきます。
 改行ができるということは、音を聞く耳を育むことですので、当たり前と言えば当たり前です。声が塊だったのが、フタコブになって、二つになって、というふうに、声の弾力を捉えることができるようになっていきます。
 自分の世界は、これまで一つだと思っていたものが、実は二つになったり、三つになっていったりする。つまり、世界それ自体の感じ方が変わってもきます。世界観ではありません。世界観自体の見方です。世界がどうなっているかではなく、世界がどんなふうに成立していくかに関する見方です。
 改行とは、混沌とした世界に分け入る方法です。混沌に手を入れて、グループに分かれて行く。そのグループにも手を入れて、また分かれていく。増殖していくが、それは混乱ではなく、理解に向かっていく。改行は、誰もができる理解想像の行為です。

 


ポンデリングの声


 改行ができるほど、言葉も増えていく、その分、声もどんどん混じり込んでいく。そうすると、改行がまた増えていく。このような循環があります。この循環を担っているのは、その混じり込むという声です。
 先ほど、声は塊から分たれていく話をしましたが、やはり声自体には、塊に近いところがあります。塊というよりも、その塊になる前の声があった。そこには、いろんな声がぎゅぎゅっと集まっています。
 声はもともと、一つではなかったのだと思います。おしくらまんじゅうをしているみたいに、声と声と声と...は、くっついていた。ミスタードーナツポンデリングみたいなイメージです。
 ポンデリングは、あの一つの輪っかでポンデリングですが、くぼんだところをちぎって、一塊になっても、ポンデリングです。声も同じように、改行して出てきた声は、一塊としてあるけれども、それはもともと、他の声として一緒にあったということです。それを、手でちぎっていったんです。

 


砂丘たち


 声は、出てくるときは一つだけど、本当はたくさんあります。だから、声を声として聞くことはやっぱりできないし、できないからこそ、別の声がどんどん聞き入ってくる。
 言葉はどんどん増え、改行がなされ、また言葉が増えていく。メモのリストは膨大になっていきます。スマホでやっている場合、スクロールしないとみれないぐらいになってくる。
 こういうときは、同じ声がないかをまず探します。それでくっつけてしまう。項目名もどちらかに統一するか、新しく付け直します。結構しんどい作業です。無理やりくっつけるのはやめておきましょう。違うと思ったら、違うままでいいし、同じだと思ったら同じにします。軽い感じにします。
 そういう感覚で、リストを素直に見れるようになると、その並びが凹凸のある感じにみえてきます。自分の世界一つ一つが、でこぼこに並んでいる。そういう、なだらかでゆるやかなつながりが生まれてきます。まるで、砂漠にある砂丘たちがそこにあるようです。

 


管理下の砂漠


 リストが多くなると整理も大事なのですが、そうやって、自分の凸凹を感じることのほうが重要です。そうなってくると、項目たちをチェックするのにだんだん時間を要してきます。
 リストは増えていく一方ですから、減ることのほうが少ない。だからと言って、安易に減らすのはもったいない。せっかくできた世界を、そう簡単に潰してしまうことは憚られます。
 だから、毎日、全部に目を通そうとしてしまう。最初のうちは数が少ないから短い時間で済んでいたものの、数が増えていけば、その時間は予想を超えて増えていく。項目ごとに付け足している言葉の量が違いますから、項目が新しく増えるだけで、みる時間も急に変化していきます。
 昨日と今日でかかる時間が読めない。これがやっかいです。さっきまでと同じ容量でできない。でも、そんなことはないはずだと思って、容量を詰め込もうとする。全部を眺めようとします。だって、自分が考えたことだから。全部自分でチェックできるはずだと。目の前に広がる砂漠は、自分の管理下なのです。

 


平日の土地


 全部を見ようとする自分、この自分は、どうも怪しい。落ち着きがなさそうです。ちょっと焦りも見えています。早くやらなきゃ、早くやらなきゃ、そんな勢いを感じます。
 そうです。もうこうなってくると、平日の気持ちになってしまっている。土日のゆったりした気持ちと離れていってしまいました。土日の緩やかさを味わう、その姿勢を作っていくために始めたことなのに、いつの間にか、平日の勢いを持ち込んでしまっている。
 なぜ持ち込んでしまったかというと、それは与えられたことがはっきりしているからです。項目が今、ずらっと並んでいる。これを、自分はチェックする仕事を与えられている。そんなふうに思ってしまったわけです。
 数が揃っていれば、そこで自由にできると思ってしまう。自由にできる自分は、無限に時間を持っている。というか、時間を想定していない。でも時間には限りがある。だから急いでしまう。早くやらないといけないと思ってしまう。何かをなそうとしている。こういう方向に行くのが、仕事です。土地を自由だと思えば、人は自分を過信してしまう。平日に与えられるのは、その自由という気持ちです。その気持ちを勢いに変えて、仕事を始めてしまうのです。

 


メモリストという土地


 土日につながる姿勢作りは、やはり困難なように思えます。ですが、一歩ずつ進んでいることは確かなのです。つまり、自分の声を言葉にしたリストがあるということ。これが、確実な一歩なのです。
 平日の気持ちにぶり返してしまったのは、このリストからです。このリストで、自分は自由にできると思ってしまったからです。この自由というところが、平日の忙しさにつながっていた。ですが、本当の平日の勢いとはちょっと違っている。
 どういうことかというと、普通の仕事では、こういうリストは作らない。仕事は上から与えられます。仕事の一つ一つを、常に把握しているわけではありません。一緒に働いている人がいるからです。だから、全項目を、全て自分が担当するということは、これまでなかった。
 なので、普通の仕事において、自由というのは制限されています。与えられた時間の中でやるという意識が強い。対して、自分のメモリストにおいては、自由というのが完全に自分のものになっている。時間にはもちろん限りはあるが、自分でやりくりできるという意識が強い。だから、余計疲れるのですが、それはむしろ、仕事になるかならないかの、自分に身を置くチャンスになっている。仕事という土地は借りものだが、メモリストという土地は自分のもの...と言っていっていいのか。ここが、平日の気持ちと土日の気持ちを分ける分水嶺です。

 


自分の土地の広さ


 改めて、メモリストというのがどういうものなのか、見ていきます。メモリストは、仕事以外のことで、自分が浮かんだことのメモです。それを毎回見返すことで、その項目はさらに豊かになっていく。それらはいずれ、自分が興味のあること、土日にすることへ向かっていきます。これが、土日の姿勢づくりという営みです。
 対して、平日では自分のすることのメモリストは用意しなくていい。仕事は上から与えられます。そういう仕事のリストはあったとしても、自分専用ではない。だから、タスクは無限にやってくる。終わらない。
 この終わらない点では、土日に向かう自分リストも同じです。自分専用なので、無限に時間があると思っている。ですが、一つだけ違いがある。それは、タスクが目の前にあるということです。することのタスクは、もう目の前にしかない。仕事のタスクのように、上から降ってはこないのです。この、自分がすることが目の前に視覚化されているという事実が、重要なのです。
 自分リストを作っても、全項目がわかっているために忙しくなってしまう。仕事リストはどんどん降ってきて、全項目がわからないために忙しい。この違い。同じ忙しさでも、項目がわかっている方が、忙しさに違いが出てきます。つまり、自分リストの方が、どう忙しいのかがわかっているということです。仕事ではどうしようもできなかった忙しさを、自分でやりくりできる。自分の土地が、まずどれくらいの広さなのかを、しかと見つめることができるということです。

 


勝手に広がる土地

 

 自分が持っている範囲を把握する。全部をいきなりチェックしようとするのではなく、そういうすることの範囲にしてしまう前に、見定めます。持っていることと、することの間です。自分が動ける限界を知ろうとします。
 やはり、一度に全てができるはずはありません。最初のうちは、何も知らないからこそ、できる。項目も一つか二つだから、隅々までチェックできる。でも、その状態は、まだ全然自分を知らない状態です。
 メモリストを作っていくことは、仕事以外の自分を知っていくということでもあるのです。メモが習慣になれば、どんどん自分の項目というのが増えていく。就職の面接の時に書いたような、笑顔が得意な人ですとか、チームワークが得意ですとか、そういう対外向きの自分ではないもの。メモリストには、「このラーメンが好き」とか、「この本を読む」とかの、自分の実際向きの項目がわかってくる。
 自分のことは、自分が普段していることからしか出てこないのです。だから、項目はどんどん増えていきます。自分がしていることはいつも、必ず多いからです。それを後追いで、メモにしていっている。頭より行動の方が先行しています。自分の土地は、勝手に広がっている。

 


日が暮れる時間


 自分が持っている項目はどんどん増えていく。それは避けられません。逆に、その項目が増えないようメモをしないようにする、こういうこともやっぱり避けたい。自分が浮かんだことです、全部を大事にしたい。
 けれど、すぐ全部はできないということです。それを認めていくために、まずメモリストを用意しました。できる範囲を見定めるためです。諦めるためではありません。着実に、自分の身の丈を知っていくためです。
 帰りの電車で、メモリストをみたとします。項目が10個あるとする。しかし、あと30分しか電車に乗っていない。その時間で10個全部を見ていって、言葉を付け足していくのは大変だ。そういうふうに、時間に限りがあることがわかっていく。
 項目の全体数がわかっているため、残った時間と相談できる。自分のできる範囲の見通しが立つということです。いつも気づけば時間がなくなっている、というのは、見通しがなかったからです。時間は見通せます。それは、見通せなかった時間とは質が違う。時間は作れないし、無限にあるわけでもない。時間は、必要な分だけ用意されています。自分の土地には、日が暮れる時間があるのです。

 


作物を世話する時間


 時間は、必要な分だけ限られている。自分から限っているのではありません。リストを見返した時点から、余裕のある時点までの間で、自動的に決まってくるのです。
 時間は自分の外にあります。ですが、その中で自分ができる範囲を出していく。自分の外と内とのつなぎめを作っていくのです。そのつなぎめに、必要な時間がやってくる。自分のものであるとも、自分のものでないとも言い切れない、見通すことの時間です。
 その時間の中では、自分ができる範囲が、自分のしていける範囲というのに変わっていく。見返したときに、今日は7項目ぐらいできるかなと思った。そして、残りの時間を見る。あ、じゃあ今日は4項目ぐらいをチェックしていけるかな。そういうふうに思える。
 していける自分を見つけた時、時間との関係は随分変わってきます。これまで、時間はどうにもならないものだった。時間はいつも足りなかった。けれど、今はもう、時間は足りるというふうになっていく。時間はどうにかなっていく。時間と自分の関係に、折り合いが付いたのです。土地には、項目という作物がある。これらを今日はどれくらい世話していけばいいのか、日が暮れていく時間が教えてくれます。

 


育ち盛りの作物


 リストに見通しがあるなら、毎回、していける範囲がわかる一方で、していけない範囲というのも出てきます。そうすると、ずっとほったらかしになってしまう作物というのがあることになる。せっかく植えたのに、このままでは枯れてしまいます。
 ですので、僕は、いつも時間と相談する前に、項目全部を一瞬だけ眺めるようにしています。項目ごとの中身をチェックするのではありません。リストの最初の項目名だけを、ダラーッとスマホをスクロールします。毎日見ていますから、こんなのあったなぐらいで過ぎることができます。
 この総覧する一手間を加えるだけで、どの項目が大事かなんとなくわかります。スクロールする速度に対して、項目ごとの目の引っ掛かり度合いが違ってくるのです。ある項目はパッと過ぎてしまうのに、別の項目はちょっと目が追っていくことがある。
 そんなふうに一覧を眺めておくことで、必要な項目をピックアップできるのです。なので、していける範囲を定めるためには、まずパッと見て必要そうな項目を選び出すこと、次に、残り時間で必要な項目に絞っていくことです。土地に植えた作物には、育ち盛りのものとまだ大丈夫なものがあるのです。

 


日毎の成長度合い


 リストを毎日総覧していると、気づくことがあります。それは、毎日、ピックアップする項目が違ってくるということです。昨日はラーメンの項目が気になったのに、今日はラーメンの項目よりもどんな動画を見るかの項目の方が気になったりする。
 なぜ変わるかといえば、もうこれは気分としか言いようがありません。もちろん、ずっと毎日、これだけはチェックしたい項目もあります。でもそんな項目でも、ある日だけ今日はいいやってなる時もある。
 でも、だからと言って無理やりチェックはしたくない。今日は別にしたくなかったんです。そうした方が気持ちが楽です。毎日続けようとは思わなくていい。また明日に眺めます。その時に、また気になってくるかもしれませんし。
 毎日、自分は変化しています。考えることは変わっている。昨日したことは、今日はしたくない、今日したことは、明日はしたくないかもしれない。こういうことは、仕事ではできません。ですが、このリストは仕事ではありませんから、そういうことをやっていい。土地の作物は、日毎に成長度合いが違うのです。

 


日毎の伸び度合い


 毎日、項目をピックして、項目を絞ります。その後、僕はもう一手間加えます。絞った項目に、優先順位をつけるのです。総覧した時に、どの項目が気になるかだけでなく、どれくらい気になるかもわかるからです。つまり、気になりにも大小がある。
 時間が見通せたとはいうものの、時間を操れるのではありません。途中の項目で言葉を付け足していくと、結構そこで時間を食ってしまい、後の項目ができなくなることもある。だから、もし見通した通りにいきそうにない時も、しょげないように、チェックしたい優先順位だけは決めておくのです。
 僕は、そうやって段ごとに並べ替えていくので、それができるアプリを使っています。WorkFlowyというアプリです。段ごとに箇所書きで付け加えていけるもので、段を指で押さえて動かせます。Googleアカウントが使えて、パソコンでも使うことができます。
 そんなふうにして、項目を絞った後にも順番をつけておく。時間は足りなくなることもある。けれど、全部ができなかったわけじゃない。できたこともある。じゃあ、どこからできなかったのか。大体の数を把握することができます。つまり、優先順位をつけることは、自分自身が扱える範囲を納得していくという意味もあるのです。土地の作物は、毎日成長度合いが違うだけでなく、目にみえて、その伸びも違っているのです。

 


土日の収穫に向けて


 メモリストを作ることは、自分の身の丈を把握するためでした。まず、普段からメモをしておくこと。これが前提です。そして、それぞれの項目に言葉を付け加えて、豊かにしていくこと、ここにいくつかポイントがあるのでした。
 第一に、パッと全項目のタイトルだけ眺めていき、気になる度合いをみていき、ピックアップすることです。第二に、残り時間と相談して、付け加えていけそうな項目を絞ることです。そして第三に、項目の優先順位を並び替え、優先順位をつけることで、実際に付け加えていけた数に納得していくことです。
 数に納得していけば、次の日再び眺めた時に、大体の数を想定しながらみていける。この数を限定していくことが、自分の身の丈を把握していくということなのです。
 先ほど述べたように、毎日、自分が考えることは変わっていきます。だから、身の丈なんて元も子もないと思うかもしれません。ですが、自分がチェックできる数というのは、案外変わらないものなのです。考える内容は変われど、考える数は安定していく。そうやって、自分を数として捉えていくことが、メモリストを作っていく意味であり、土日へ向かう姿勢を作っていくことなのです。毎日世話する作物の数は、その種類は違えども、一定になってくるのです。そうやって、すくすくと、自分の興味あるところまで作物を育てて、土日に収穫をするのです。

 

*第六章は、今週掲載予定です。