1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

【長編】舞台(10)完結

足りない。こんな音ではダメだ。ダメになる。

足の震えはまだ治らない。もっと、もっと踏む。足裏が地面にくっつくぐらい。

膝を曲げ、重力に従い、力を込める。足の骨が軋んでもいい。いま、ようやくその音を捉えたんだ。今まで練習してきたのに、ずっと気づかなかった。僕はずっと、観客席ばかりをみていた。そうじゃない。みるべきなのは、床だ。

聞くべきなのは、観客の声じゃない。自分の声でもない。床の音、床の音を聞くべきなんだ。鳴らす、鳴らす鳴らす。

彼女は、僕を止めに入る。腕をつかんで、何か言っている。でももう聞こえない。防音ガラスの外に彼女はいた。

僕は今、ガラスに囲まれている。足音だけくり抜かれた地面。僕はそこを、踏み続ける。

何か外れた。

 

繰り返した。地面を踏む。いや、叩いている。振動を身体の方へ返して、脳を揺らす。

脳には埃が溜まっていて、記憶が出てこない状態になっていた。記憶の引き出しと引き出しの間に埃が詰まって、取り出せない。引いても引いても、まだ出てこない。いや、そもそも、引き出し自体が歪んでいる。だから取り出せるはずもない。

じゃあ僕は何をしようとしているのか。引き出しを揺らしてどうしろというのか。僕は、引き出し全体を、その棚全体を揺らしている。そうして、角を止めているネジを、緩めようとしている。

要するに僕は、タンス自体を壊そうとしている。そうしたら、引き出しの中が全部見れるじゃないか。

みよう、引き出しの中を。これまで開けられなかったのは、引き出しだけを開けようとしていたからだった。

僕は、繰り返した。

 

揺れる。舞台が揺れ始める。近くに置いてあった二つの椅子が位置を変えていく。寄って行ったかと思うと、ちょっと離れ、お互いに角度を変え、片方が倒れた。もう片方も、それを見送ってから倒れる。

ガツン、ガツンと音がした。舞台奥の壁も揺れ始めた。この壁も、所詮は木材四本でできている。角の方から揺れ始め、だんだんと、バランスが悪くなる。左右に揺れ、一枚目、四つあるうちの二番目が倒れた。風がこちらに舞う。奥に隠してあった埃が払われる。

こんなに溜まっていのかと思う。人が歩くだけで、人が足を踏み入れるだけで、こんなにも汚れるのかと思った。

気づけば他の壁も倒れていた。角を重ねるようにして倒れている壁。穴を開けて崩れている壁。ホールの壁が剥き出しになった状態こそ、より舞台らしかった。

僕のガラスがわなわなし始める。

 

惜しい。あともう少しだ。壁が揺れる以上の、振動が欲しい。なかなか壊れない。この視界を、早く僕は壊したいのに、これまで我慢し過ぎたからか、予想以上に強固になっている。

一時期は大事にした方がいいと思った頃もあったが、そこには僕の声が入ってない。僕は、僕の声を届けるために、演劇部に入った。その目的だけは忘れていない。そのために、僕は、自分の頭の中を振動でぐちゃぐちゃにしてしまう。そうやって、一度粘土みたいにして、自由に、そこからどんな形になるかわからないけれど、これから拡がっていく世界に放ってあげたい。

最初はしんどいかもしれない。手足すらでないかもしれない。目で見るのも、耳で聞くのも怖いかもしれない。けれどそれは、新しい感触だからだ。そこからまた、僕はかたちを作りなおす。僕は、僕が動く舞台を開く。

間違ってない。

 

来た。床の振動は、ホールの壁を伝い、天井にまで行くようになった。上から、あの埃がチラホラ降り注ぐ。彼女はもう、僕の腕を掴むのを諦め、そこにしゃがみ込んでいた。ヘタヘタとなり、揺れる天井をみていた。彼女は手だけを僕の腕にのせるかっこうで、ぼーっとしていた。

今、揺れているこのホールで立っているのは僕だけだった。僕もかろうじてではあったが、僕以外に、同じ視線を保つものはいなかった。床が、どんどん深くなっていく。凹んでいく。僕の周りが、どんどん盛り上がっていく。僕は沈んでいた。一点だけを、踏み過ぎていたらしい。このまま、僕は彼女と一緒に、穴に入ってしまいそうになった。それだとまずい。

僕は祈った。どうか、この凹みをなんとかして欲しい。何かが、外からやってこないと、制御できない何かが来なければ。

お願い、お願いお願い。

 

届いた。天井全体に、振動が響き渡った。ホール全体が揺れた。建物全体が一瞬、僕の中に入ってきた。僕は、嗚咽しそうな喜びに駆られた。このホールの基礎から、このホールが出来上がっていくまでの過程、そして、このホールで上演された演劇、その全てが、僕の中で弾けた気がした。

そうか。そうかそうか。

何に納得したのかはわからない。でも、そう思った。反復するしかない喜び。僕の声はすでに、肉声としてではなく、喉からの声でもなく、腹からの声でもなかった。

僕の声は、その建物の周り全体から、響いてくる。みしみしみしみし、物理的にはそう聞こえたが、僕にとってはその音こそが、僕の声だったし、僕にとっての観客は、そのホール全体だった。僕が届けたい相手は、人ではなく、建物だったのである。だからその建物は、ちゃんと応えてくれたのだった。

すっと、足に力が入らなくなった。

 

散った。火花が散った。なぜ火花?

散ったのは、頭の中だ。頭の中で、ぶつかった。ぶつかって、どうなった?

あれ、音がしない。目が真っ暗だ。頭がこれまで知らない形になったような。

頭に歪みが、頭。頭。

ええっと、頭ってなんだっけ。んー。

あー。落ちた。落ちてきたのか。器具が、照明か。照明、照明、照明…

そうだ、僕の頭の上の、あれが落ちてきた。ダメだったか。持ち応えられなかったか。さっき外れた音は、あの照明か。

しまったな。やっぱり僕には無理だったのかな。

んー。あー。破片が、ガラスの破片が落ちてる。あの照明のガラスか。僕の周りのガラスか。

粉々に割れている。一つ一つがギザギザして、形も違う。まるで花火の跡みたい。

薄暗い視界が蠢いた。

 

倒れている。僕は今、うつ伏せになっている。足に力が入らない。腕だけはなんとか、動かせるかもしれない。でも、腕だけでこの身体は動かせない。

身体は疲れていた。頭が割れたからではなく、これから寝ようとしているからだった。関節が伸び切って、だらっと、このまま床の隙間に入っていきそう。

暑い。熱い。頭についた火が、まだ残っていた。その火が、背骨を通じて、僕の心臓に向かおうとしている。チリ、チリチリチリ。

頭が瞬く。後頭部に強烈な痛みが走る。首が、大きな一本の感触になり、火は着々と、歩みを進めていく。

足の方は冷たい。信じられないくらい冷たい。凍っているのではないが、動かすとボロボロと崩れていってしまう。そんな冷え方をしていた。

生暖かい温度だけが、心臓に残る。

鼓動はまだ、鳴っている。

 

聞こえる。悲鳴が鳴っている。誰かが悲鳴を上げている。女性だろうか、男性だろうか。そんなことはどうもでいい。

第一、耳がほとんど聞こえない。空気の振動だけが頼りだった。悲鳴は空気を揺らし、それを身体が感知する。僕の身体は、それで聞き分けたのだった。他にも、足音のような振動が、ざらざらざらざらと聞こえてくる。ドアがバタンという音。きっと、開いたり、閉じたりしているのだろう。電気がショートする音。きっと、僕に当たってきたあの照明だろう。ばちばちばちばち、じーじーじー。振動している。揺れている。僕の身体が揺らされている。

安否確認だろうか。何か僕に話けかけている。つんざく。その声が、やけに耳に響く。さっきまでの振動は遠くにあったのに、僕の耳元でなっているその響きは、ものすごく近い。

うるさい。

 

うるさい。うるさい。うるさい。

僕は叫びたい。何をそんなに騒ぐんだ。騒いでどうするんだ。今になってどうして騒ぐんだ。わかってたんでしょう。こうなることぐらい。誰も知らないふりをして。

身体をゆすられる。誰なんだ。ゆすってどうするんだ。僕はもう起き上がれない。

返事ができない。大丈夫かどうかも言えない。別に命に別状はない。だから、そんなに焦らないで欲しい。

自分がいけなかった、そんな顔をしているんだろう。それもやめて欲しい。

僕のことはいい。もっと、他にやることがあるだろう。

僕のことは置いといて。はやく行って。

ねぇ、なんでいつまでそこにいるの。

ねぇ、うるさい。うるさいってば。ほんとっ、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。

はぁ、うるさい。

 

(終)

 

ご愛読ありがとうございました。