1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

暗い森

森はざわめていた。大きな風が吹き、木々の間を抜けていく。これまで大丈夫だと思っていた枝たちは次々と折れ、落ちるものは落ちていった。大事なものが取れていったのではない。むしろ、森としての様子が守られていったのである。

折れた枝たちは、地面に投げつけられる。葉っぱはすでに飛んでいってしまったので、クッションもない。かたい土に放り出された枝たちは、無造作に転がった。そうすると、枝が集まるところと、集まらないところの、一種の砂漠のような地面ができあがったのである。

そこには道のようなものができあがる。クネクネとヘビのように、曲がった道だ。でも、それは夜にならないと姿を現さない。月の光の影が、道を明らかにするからである。だから昼に活動する動物たちは、この道をずっと知らないのである。

夜の動物たちはむろん、この道を通っていく。枝はもちろん、葉っぱも落ちていないのだから、物音ひとつしない。それゆえ、物音がするということは、このルールを破ったものがいるということである。そうして、この音を鳴らすものが、いた。

シーンとする森の中で、パチッ…と音がする。それも、連続的ではない。断続的に続いていく。パチッ…..パチッ……。このものは、音を鳴らしてはいけないルールがあることを知っていて、音に気づかれないよう、ゆっくりゆっくり入ってきているようすだった。

入ってきた音は一つではなかった。別の方向からも、それは聞こえてきた。それらはある場所に集まっていっている。暗闇に微かに音を響かせ、聞いては鳴らし返すことで、距離を把握していった。おそらくそのものたちは、この時間に待ち合わせていたのである。

森は、よからぬものが入ったと思ったのであろう。パキッ、パキッっと、音を立て始めた。枝が折れる音である。これ以上入ってくるなという、警告だ。その速度は、次第に増して、そのものたちを取り囲んでいく。

この身を削るような作戦で、どうにか追い出すことに成功した。そうすると、今度は道ならぬところに、円を作るように、枝が集積しているところができあがったのである。それは、先ほどの作戦の残骸であった。

これまでの道ならば、風吹けば、枝や葉っぱはどこかに飛んでいってしまう。しかし円となると、そううまいことにはならない。風で散った葉っぱがその円に入ると、もう、そこから出られることはないのである。そこで腐敗を待つしかないのである。こうして、この森には、一つのクッションができあがっていく。

とにかく、この円は葉っぱをよく吸い込む。最初のうちは、枯れた落ち葉がゆるりと入っていく程度であったが、次第に、潤った緑の葉っぱも混じっていった。普通は、この2種類が集まることはないのであるが、この円ではそれがあり得た。円の中身は、茶色と緑で、一つの像を描くようになった。

それほど目立つ円だから、昼の動物たちが知らないわけはない。中に入って、体を揺らすもの。何か餌がないか探すもの。自分の食べた物のかけらを置いていくものもいた。いつしか、この円は昼の動物たちの溜まり場になっていく。

これまで集まらなかった昼の動物が、この森に来るようになってしまった。そうすると、本来出会うはずのない動物たちが出会うことになる。そこでは、別の弱肉強食の関係が生じる。要するに、生態系がそこで綻び始めるのである。森は、これらの動物をいかになくすかの対応を迫られることになった。

そこで、さらに枝を落とし、円の高さを高くした。そうすると、壁が高く、登れないものは入ってこれない。これで、一定程度の動物たちをそこから立ち退かせることに成功した。

しかし、それでもまだ動物たちの種類が偏っている。どうにか減らすことができないかと考えていたところ、少しずつであるが、数が自然と減っていくことに気づく。円の中で、ある種の弱肉強食の関係が確立していき、食べるものと食べられるものとの関係が、バランスよく成立するようになっていったのである。

 

森はこうして、生態系を保ってきたのである。昼は動物たちの餌場となり、夜は動物たちの通路になったのである。よって、生態系とはそこにずっと同じ動物がいるということではない。昼も夜も、一定の出入りがあるということが、重要なのである。

絶えず動物が出入りするから、色々な動物がそこにいるようにみえるのである。同時に入っていくのではない、同時に出ていくのでもない。入ったものは、次に出るものに食べられ、出たものは、次に食べたいときにまた入ってくる。入れ替わり、立ち替わりが起きているのである。それゆえ、行ったり来たりではない。行ったら、来て、それで行く。行ったら、また、来るのである。

森のざわめきは、その生態系が循環する時の合図である。木々はお互いを振動させるように震え、枝が落ちる。そこに、葉っぱも迷い込む。ここから、道ができ、円ができていくのである。

枝や葉っぱは、二つの役割を持っている。一つ目は、森に音を立てることである。そうやって、勝手なものを追い出すことができる。二つ目は、積まれていくことである。そうやって、動物たちが通う場所にすることができる。

ところで、そもそもなぜ、森にはそのような生き物が必要なのだろうか。それは、森が動物たちを求めているからである。森には、声がない。音を出すことはできるが、声を出すことはできないのである。声がなければ、そこには乾いた音しか鳴らない。声は、森が大気で包まれるための、大事な要素なのである。

森にはいると、上空の方では潤いが感じられる。その空気は、心地よい風とともに、歩くものを安らかにさせる。それが、森からの感謝の気持ちなのである。こういう時、森はざわめかない。木々は揺れず、風だけが通り抜けていくのである。

森を歩けば、そこには道があり、いく通りも分岐していることがわかる。その視界の端には、幾つもの円が散らばっている。この数の度合いが、その森の呼吸の歴史なのである。

そのような森があることは、果たして貴重なことなのだろうか。森がもし失われれば、動物たちは困るのだろうか。道がなければ、円がなければ、そこに生態系は保たれないのであろうか。

まず、森がその場所にあること、そこから疑問を持ってみてはどうなのか。森は、そこにあるべきものとして生えている。地上にその姿がみえている。しかし、それでもって、それを森の姿としてよいのだろうか。

何もない地上から、森が生えたのではない。森があるところには、土があったのである。土は、なぜそのカタチを保っているのか。そのことがわかるまではきっと、森は暗いままなのである。

 

                               

(終)