No.1 ネコの最初の第一歩
そのネコを知った頃の話だ。
僕はこの話を多分、周りにしたことがない。
長らくの間、僕とネコだけの秘密だった。
このまま隠しきれるとは思ってなかった。
だからまず最初に、この話をする。
線路沿いが、僕の出勤ルートだった。
線路の方には、フェンスが網目のように張り巡っている。
フェンスの奥には、線路にしかない独特の大きさの石が転がっている。
きっと、テキトーに拾ってきた石ではない。
日本から拾ってきたものだろうか。
線路のさらに向こう側は、森になっている。
森は森でも、人が散歩道として歩ける。
時より僕は、森の道から通勤したくなるが、踏切がないため、通勤ルートに戻って来れない。
ただルートが変わるだけで、仕事のパフォーマンスが変わるのではないか、そんな気がしている。
そんなやりもしないことを考えては、それでも足は会社に向かっているので、別に遅刻することはない。
足が地面を踏んでいると思うと、自分が歩いている感じがしなくなる。自動的に進んでいるのだ。だから、遅刻は一度もない。
僕にはそのような制御機構が働いているのである。まあ便利なものである。
別にそんな足が嫌なわけじゃない。むしろ、ありがたく思っている。頭は寝ぼけようが、足は歩いていく。
家でもう少し寝たいと思おうが、足は言うことすらきかない。
足には耳がついておらず、目しかついていないようだ。
頭もそれを受け止めるしかなく、まあ、帰ったらとりあえず寝よっと諦める。
寝ることは、僕の頭の楽しみだった。いろんな夢を見る。毎度覚えていないが、それは僕だけの夢だった。
夢を見たあとは、身体が伸びた気がする。
身長も170cmを超えてくるはずだ。
もっと深い夢を見たらどうなるか。
これまで何度かあった。
目が覚めると、肌の細胞一つ一つがバチバチと電気を走らせる。
このとき、身体に一体何が起きているのか。
細胞に問いかけてみる。
どうやら、細胞たちもそれぞれ寝ていたらしい。起きてきたのだ。
僕が起きた時、僕の細胞も一つ一つ覚め、全身に電気信号が走っていくということらしい。
ただ、それが起こったからって、特に身体の変化を感じることはないのだけど。
いつものように線路沿いの出勤ルートを歩いていると、これまでは左のフェンスの網目ばかりを見ていたのを、右へ見るようになった。
基本的には住宅街なのだが、お地蔵さんが1人いらっしゃった。
何を守ってくださっているのだろう。
誰が手入れしているのだろう。
お供物がしてあった。
みかんが置いてあって、大きすぎず小さすぎない、程よい大きさだった。
かなりいい塩梅に置いてあったので、思わず手に取りそうになった。
そこに、どこからか視線を感じた。
ふっとその方向を振り向いたが、一瞬、煙に巻かれた。
だが、キョロキョロ辺りを探すと、遠くの方に影がみえた。
目を凝らすと、少しずつ輪郭がはっきりしてくる。
その形がわかった時、僕は見下げられた。視線は、向こうのほうが上にあった。
視線の位置は、僕の方が高かったはずだ。
その影は、僕の通勤ルートの途中にいる。きっとこのコンクリートの道は、彼が踏み固めて作ったに違いない。
これが、僕がネコを知った最初の時間だった。
そこから、僕の通勤ルートは、ネコのルートになった。
家で二度寝したいと思う僕の頭は、ネコに会いたいと思う頭に変わっていった。
視界は、左のフェンスの網目ではなく、右の住宅の隙間になった。
黒い隙間に、さらに暗く隠れている影。
僕の機械になった足取りは、新しい地面を踏むようになった。
歯車と歯車の間が、少しずつ、軋み始めていた。
「ネコの歩き方」シリーズは、下記の欄からご覧いただけます。