No.0 ネコの歩き方
ネコが歩くと、自分も同じように歩きたくなる。
出会う場所は、線路沿いにある、あのお地蔵さんがいるところ。
いつも大体、同じ時間にいて、同じ様子でこちらを見る。
じーっとしているので、こちらも我慢くらべで待ってみる。
でも、ネコにはなれない。ただ、ネコのように待つことは、なんとなくわかってくる。
そのネコだけだ、待ってくれるのは。他のネコとも我慢くらべしようと思ったが、出会う前に逃げてしまう。
あのネコが逃げていく後ろ姿、こちらを見ながらそそくさ立ち去っていく姿。僕はその踵の返し方に、人間味を感じる。
そんなネコの、人間のような部分、人間でないような部分、猫であるような部分(ってなんだ)が、僕の脳裏に刻まれている。
僕の頭の中は、いろいろなネコ像で忙しい。一体、ネコとはなんなのか。少しずつ近づいてくしかない。
彼らはいつも、道端にいる。だから、先にこちらに気づいていることが多い。ネコが気づかないで自分が先に気づくことって、どれくらいあるのだろう。
それでも、なんとかネコの背後に回り込むことはできたりする。空気に溶け込む。ネコが馴染んでいる環境の庭から、靴を持ったままソロソロ入っていく。
ネコの部屋は、やはり広い。小柄なのに、そんなに大きいのはちょっとどうなのかと思う時もある。でも、どうもそれはテリトリーという意味ではなく、ただ、パトロールする範囲である、そんな感じなのだ。だからむしろネコにとってのテリトリーは、すごく狭い。自分の身体の周りくらいなのではないか。
テリトリーは自分が動く身体である。
ネコは、究極に自己完結した存在だ。
誰の助けもいらない。ネコは、あの4本の足と尻尾だけで、存在できる。
どうしてそんなことができるのか。
そこには、ネコ独特の歩き方がある。
生まれた時から、信じられるのは自分の足で踏んできたところだけなのだ。
一体、何を信じているのか。
ネコが、何を信じているかまではわからないにしても、僕たち人間に対しての疑問はいくらか伝わってくる。
家がないとなぜ生活できないのか。
寝る時におやすみなさいと言っているのは、いったい誰に対してなのか。
なぜそんなに寝る必要があるのか。
毎朝電車に乗るためにダッシュするのはどうしてなのか。
それで乗り遅れるとなぜそんなにもやり場のない退屈さをみせるのか。
退屈な時は、景色をみたらいいのに、なぜずっと顔を下に向けているのか。
線路から差す太陽光が眩しいから、顔を下に向けているのか。
それとも、下を向く顔の先には、意外に面白い出来事が観察できるのか。
まあ、もちろん空想だ。ネコがこんなこと考えているか知らない。でも、ネコのように考えることはできるはずだ。
いつも出会う、あのネコの歩き方をマネ始めようと思う。