1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

No.5 つついた世界を散歩して

                                   

それまで何もなかった宇宙に、つついて生まれた世界。その世界は、不思議だらけで、みるべきもので溢れていた。

一つをみれば、視界の端で何かが過ぎていったように、目を奪っていく。

その後は、慎重に追っていく。大胆に追うのではなく、あくまでゆっくりと。

勢いにまかせると、きっと過ぎたものを見失ってしまう。それほど、神経のいる散歩なのだ。

 

いまは屋台にいる。冷たく煮えた鍋の渦が目の前に、そして、顔が渦でできているお客さん2名が隣にいる。その顔を目で確認した後、すぐ鍋に目を移した。みてはいけないものだったからだ。さっきまでの談笑はぴたりとやみ、こちらを、じっとみている気がする。席を立って屋台から出ればいいが、下手に動いてしまえば吸い込まれてしまうかもしれない。

しばらく無言の時間が続く。渦の音が屋台の中を歩き回る。このままじっとしていても埒が空かないだろう。しかし、何かまずいことでもしたのだろうか。どこで間違ったのか。そもそもこの屋台に入るべきでなかったのか。屋台を見つけたきっかけは、不思議な風のせいだった。その風が、暖簾の方に入っていった。その行方を知りたいと思い、この屋台に入っていったのだ。

そこで、渦が巻いていたというわけだ。渦に誘われてやってきたのだ。ならば、渦を利用して、行動に出なければいけない。咄嗟に思いついたのは、目の前の鍋に、顔を突っ込むことである。鍋の渦を、自分の顔に刻印する。それでどうなるかしれないが、何らかの変化が起きるかもしれない。腰を持ち上げ、鍋の淵に手をつく。ぐつぐつ煮えるその渦に、息を止めて顔を入れ込んだ。

耳に汁が流れ込み、中まで入ってブクブク音がする。両耳が埋まり、無音になる。渦の音はツクツクという振動音に変わり、頭がチクチクしてくる。顔が渦になるのにどれくらいかかるのかわからなかったため、息の限界まで浸していた。脳みそがダルっとして、顔を支える腕も力が抜けそうになったところで、じっくり顔を上げた。顔についた汁が手前のテーブルに落ちていく。

お客さんの顔の方を向く。目が合った。実際に目はないのだが、そう感じた。すると、無言だった彼らは泣き始める。渦の回転にのって飛び散った涙が、こちらに飛んでくる。その水は渦の真ん中に集まって、溢れ出し、ある時点で、逆流を始める。右から左へ回転していたのが、左から右に逆転していく。彼らは苦しみ始め、胸や首に手を当てたりしている。椅子は倒れ、テーブルにもたれかかり、膝から崩れ落ちる。頭をもたげ、そこから何かをゾロゾロ吐き出した。食べ物ではない。ラジコンカーや、飛行機のおもちゃ、電車のプラレールのようなものが出てきたのである。

この屋台から逃げる道を確保しつつ、その不思議な光景を見届ける。出し切ったおもちゃは、数十種類にも及んだ。どれも本人にとって大事なものであるらしく、腕をいっぱい使って胸元に手繰り寄せる。その際、間違って隣のもう1人のものも取り込んでしまう。お互い、奪ったなという顔で睨み合い、喧嘩を始める。手で殴り合い、身体を倒し合い、足で蹴り合う。こんな混沌とした状況下では、見る側も正気を保っていられない。暖簾をそろりとくぐり、入り口が塞がれたあと、急いで屋台に背を向けた。

 

こんな場所から早く立ち去りたかった。その思いばかりで走っていく。どこか、もっと気の休めるところはないか。建物の間と間を次々抜け、階段を登ってたどり着いたのは、河川敷だった。近くに橋があり、その下が空いている。下ってみると、草がくるぶし程度に生い茂ったところで、誰もいなかった。そこの壁に腰をかける。正面に見える川。その音は穏やかで、落ち着くことができた。

爽やかな風が吹き、身体を触る。その方角をみたとき、ダンボールが一枚、敷いてあることに気づく。ずっと使われていたようで、二重に折られていたのがぺったんこに平らになっている。ここに座っていては、草がむず痒いのでそちらに腰を移そうとした。近くまでいき、どのあたりにお尻を置こうか迷っている時、人が座っているかのように感じる。そこに、小さいつむじ風が巻いているような気がした。

先客がいるダンボールには座れない。消えてしまいそうな息がまだあり、それをかき消してしまうのはまずい。そっと、後少しのろうそくの火を守るように、風が当たらぬよう、反対側に座る。隣にいるカタチは、子どもなのか、大人なのか。もしかしたら年老いたものかもしれない。ただその息は静かに、川の方へいき、流れに混じっていく。むしろ川が、糸を解くように、ダンボールの彼を巻き取っていく。

この何とも言えない無常さが、貴重であることは確かだった。カタチが消えていく時間が、そこに現れていた。このまま、側で何時間も座っていられると思った。そんな安らぎの心地のもと、だんだん眠くなってくる。頭がボーッとして、瞼が何度も降りる。首がコクリと倒れはじめ、そのことの自覚がなくなる。ここで、変な気配が湧いてくる。身体が動かなくなっている。そこに座ったまま、石のように固まっていく。

身体の中で、何かがスルスルと抜けていく。抜けていくというより、解けていく。ダンボールの方をみると、つむじが先ほどより大きくなり、回転も増している。相変わらず、川へ息が流れているが、こちらの方からそのつむじの方へも、息が流れていた。体温が知らぬ間に奪われていき、寒気がしてくる。このままでは、あのつむじ風と一緒にこの世界から消えてしまう。

しかし、なすすべはなかった。身体はみるみる流れていき、小さくなり、渦だけになってしまう。こうなれば、抵抗するのはもう無駄だ。身を任せ、川のせせらぎを聞きながら、目を閉じる。

 

(続く)

 


「つついた世界を散歩して」シリーズは、下記からご覧いただけます。

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