1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

No.7 コンクリートから生える〜足中心主義の隙間風〜

寝ても覚めても足元が冷える季節です。

冷え性といえばよく足元のことをいうんだと思います。足元って、本当に温まらないです。

もし冷えているのが手だったら、擦って息を吹きかければなんとかあったまれます。でも、足は触ってみても逆に手が冷えるし、息を吹きかけるなんて腰が辛くてできません。

それにしても、足元が温まる幸せって、多くの人に共通していそうです。足元だけ暖かければ、次第に全身があったかくなります。頭から暖かくしても、足元はずっと寒いです。

足は第二の心臓といいます。それくらい大事なのでしょう。心臓というくらいだから、やはりそこから血液が吹き返してくる。吹き返せなくなれば、冷たくなっているという信号が発せられる。その信号を無視し続けると、まるで死んだように冷たさを感じなくなり、ボウっと膜が張られたような無感覚状態になります。

ただ、このような見方は、足中心主義な気がします。温度は足からのみ上がっていくと捉えている。しかし実際、足は足だけでは動きません。他の身体の動きがあって、足も一緒に動きます。身体の関節として足があるのであって、腰と足、頭が別々に合わさっているのではないと思います。

植物を思い浮かべます。植物が立っているのは、根っこがあるからです。根っこは、土の中に張っています。下方向だけでは、風ですぐなぎ倒されてしまいますから、左右に拡がっていきます。植物にとっての足は、その根っこです。花の頭や、茎の胴体は、たくさんの足と引っ張り合いながら、その姿勢を維持しています。

根っこが張るには、時間がかかります。同じ場所で、根気よく、じっとしている必要があります。その間、じわじわと、土の粒と粒の間を探りながら、無数の穴に注意を払って前進していくのです。

そうして、ちゃんと停止します。根っこは必ず、途中で途切れ、一つのフサに収まります。だから、一番のキレイな状態のときに、摘むことができます。それを、花瓶にいけます。

いけられた植物は、根っこの広がりを失います。冷たい水が、土の保護も無しに足元に流れ込んでくる。

 

足元が冷えるのは、根っこを失ったからです。それは、キレイな状態を、側で眺めておきたかったからです。すぐ枯れてしまうことをわかっていて。

僕は、そんな花瓶の植物よりも、コンクリートの植物を好みます。固い表面の中に、確かに根っこが張ってある植物。車のガスまみれになった側端に、ふいに姿を表す、あの植物たち。