1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

No.6 葉っぱもそよぐ

僕は今和歌山に住んでいます。今日は風が本当に強い。

風が吹くという言葉は、しばしば流行に乗るという言葉の喩えとして使われます。

流行に疎い私は、乗れているかどうかもわかりません。

 

流行といえばファッションですが、センスはありません。弟はオシャレな服をよく着ています。お兄ちゃん、ちょっと服考えた方がいいよと、冷たい目で見られます。

ただ、センスがないとは言ったものの、こだわろうと思えば、センスが出せると思っているフシがあります。

じゃあ、センスがないとは何なのか。どうも、僕が感じているセンスと、いわゆる「センスがある」ことは違っているようなのです。

 

「センスがある」人は、例えばこんな感じでしょうか。服の雑誌最新号を定期的に読んで、今は〇〇系の服だなと、買って着る人。あるいは、新しく買ってばかりいるとクローゼットがたくさんになってしまうので、ネット記事で流行りを軽く踏まえ、持っているものの組み合わせでいく人。また、流行りに流されるのに抵抗があって、むしろ自分から流行りを作り出したい、だから同じ服を着る人もいるでしょうか。

こんなふうに、「センスがある人」は色々ですが、共通していることは、「みんなと自分はどうか」を服選びの出発点にしているところでしょう。そこから、みんなの流れに合わせていく人、みんなの流れに沿っていく人、みんなの流れに注いでいく人と分かれていってます。

だとすれば、「センスがある」とは、このみんなの流れの中にいるということではないでしょうか。

僕は、みんなの流れの中にいることが苦手です。飲み会の席ではできれば端っこがいいし、スクランブル交差点ではいつも息を凝らしてしまうし、ブログのいいねの数をチェックしては疲れます。僕は、みんなの流れに向いていないのです。

では、どこを向いているのか。みんなが流れていく方です。難しい言い方をしました。例えるなら、河の流れに向いているのではなく、河岸に立っている木の枝、その枝の葉に身を置きながら、流れていく河の方角をみているような感じです。

居酒屋の端っこにいながら、みんなの笑い声をガラス一枚越しに聞いていたい。スクランブル交差点を渡るなら、地下通路を掘って、上の足音を聞きながら渡りたい。ブログのいいねはどんないいねだったのか、もっとエモーショナルを感じたい。

要するに、声や音や反応の、振動の行く末みたいなものが大事なようです。

そういえば人と話す時、僕はその人の言葉を聞いていないなと思ったことがあります。どうも僕が聴いているのは、その人が喜んだり、悲しそうだったり、元気だったりするかどうかでした。コロナになり、zoomで画面越しに話すようになってから、余計自覚しました。画面越しでは言葉の理解を求められてばかりで、体調とかを察するのができなかったからです。

先ほど、居酒屋でガラス越しにしたいと言いましたが、ガラス越しと、画面越しは異なるのです。zoomの画面越しは、音もその画面から出力されます。対して居酒屋のガラス越しは、音が直接聞こえることはせず、ガラス全体が揺れる奥の方で、淡く聞こえてくるだけです。

淡い振動は、多様な想像を僕に誘います。あの笑い声は、楽しそうだなぁ。でも次の笑い声はちょっと悲しそう。あ、端っこに聞こえた笑い声はウソだな。そんなことを感じながら、居酒屋を過ごせたら幸せだなぁと思います。

さらにいうなら、そのアトおあいそになってから、僕は忘れ物チェックをしたい。テーブルの下を見ます。机の上ももちろんみます。壁に服がかかっていないかもチェック。そしてその席をアトにする時、ふっと振り返り、静かに息を吸います。そこには、祭りのアトのような、寂しさに包まれた所々の思い出が、ふわふわしているのです。

 

僕にとって流行とは、流れていくものではなく、過ぎていっているものです。そこでのセンスとは、流れの中にあることではなく、その流れの上に並行しながら、向こうへ向こうへと、ただただそよいでいくことです。その時僕自身は、河の中にいる魚ではなく、岸にぶら下がっている葉っぱなのです。

 

 

追記

もしかすれば、魚は光の差し込みから上をみて、ぶら下がっている葉っぱの影を仲間だと勘違いすることがあるかもしれません。