1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

No.2 放課後の座席表

誰もが白い息を吐いていたあの時期。夕日が落ち始め、学校から出る生徒の影が、長く伸びていく。その影の先にある、2階の教室。校舎が直角に曲がった角にある教室。窓からみえる机とイスは、黒板に向かって整列している。いたって平凡な並び。前に沿うように、後ろも続いていく。誰もいないこの教室で、夕日の影が、教室の床全体を暗くした時、それが起こる。座席替えが起こる。

                                          

今日も、放課後が始まるチャイムが鳴る。その前には、いつも静かにジーッという音がする。意識すれば気に留められるぐらいの大きさで、部活が面倒なものにとって、この音は退屈さをもたらし、やる気のあるものにとっては、気合が入る音である。キーンコーンカーンコーンと2回なり、1回目の終わりと2回目の始まりの間には、真似し難い独特の間がある。そこに、生徒たちの温度差がはっきり現れてくる。だいたい、ため息をつくもの、荷物をすでに片付けて手に持つものに分かれる。ただある生徒だけ、黒板のチョーク置き場をじっと見ていた。

この教室にある黒板のチョークは、赤、白、黄色だけである。新品のものは何一つなく、何角形かもわからないようなとんがった先っぽになっている。持つ所はチョークの粉だらけで、白色のチョークは、ほとんど黄色のものにみえてくる。その黄ばんだチョークを、じっとみつめる彼。彼の机には、チョークの粉らしきものが端についていて、椅子の背の後ろにもついていた。どうやら、チョークを触った後に席についたらしい。

2回目のチャイムが鳴り終わり、放課後が始まる。チョークの手の彼は、部活で席を立つ生徒の間を抜けるように、黒板に近づいていく。教卓が置いてある一段高いところに上がり、チョークが置いてある溝に目を巡らす。汚れた左手をすっと上げて、黄ばんだチョークを手に取ろうとする。しかしすぐ後ろで、立ち去る生徒のカバンが背中に当たる。彼は掴もうとしたチョークを落としてしまう。チョークは三分の一と三分の二に割れ、付着した黄色の粉が、周りにさりげなく吹く。

彼は、割れたチョークに驚きもせず、ぶつかっていったものを気にすることもなく、ただ首を曲げておでこを地面に垂直にしている。彼の足元には、まるで飛び降り自殺して体が二つになった死体のような存在が転がっている。彼はその事後現場をちゃんと確認し、確実に生き返られないことを再度確認した後に、ゆっくりしゃがんだ。二つとも摘んで手のひらに丸め、立ち上がる。右足で、残った粉を床にこすりつけた。粉は、思った以上に広がった。

今度は黒板に目を向ける。書くところを探しているようだった。黒板に書かれていることは特になく、どこにでも書けるのであるが、彼は彼なりの場所を探しているようだった。ようやくその場所を黒板の中央少し左にみつけ、チョークを持った左手を近づける。そのまま手を動かす。何かを書き始めた。おそらくそれが何かは、誰も読み取れない。なぜなら、何も書かれていないからである。確かに彼は手を動かしていたし、チョークのコツコツという音もよく聞こえていた。しかし、彼の腕が離れた後の場所には、何も書かれていないようにみえた。

それは、彼が薄すぎる線をかいていたからであり、光の反射でみえにくくなっているからであった。よくよくみると、その線は一本ではなく、何本も書かれてあり、霧のような表面を演出していた。ときどき付着した黄色のチョークも混ざっており、埃がちらっとみえたような空間にもなっていた。彼はチョークを溝の一番右端に置き、手をポンポン叩いて、手についた粉を払う。

粉は、両手からバフっと風船のような塊をつくり、目の前まで伸びた。思わず目を閉じ、咳き込む。飛び出た粉はすぐには落下せず、ゆっくり落ちていく。彼はその場所から離れるように、教卓の高台を降りて、机の横にかけていたカバンを取りに行く。

教室にはもう誰もいない。夕日が落ちていく。それとともに、黒板の濃淡も変化していく。うっすら書かれた霧も姿を浮かす。しかしそれと同時に、黒板中央の縦のラインがはっきりしてくる。左は暗く、右はまだほんのり明るい色である。

黒板上のチャイムから、あのジーッとする音が聞こえてくるような切り替わりが起こる。しばらく間を置いて、実際に聞こえてきたのは、ジーッという音ではない。それは、放送室のマイクから離れたところで、誰かと誰かが話している声だった。ヒソヒソと、その音は輪郭をもたないまま、教室の壁が吸い込んでいく。

 

(続く)

 

「放課後の座席表」シリーズは、下記からご覧いただけます。

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