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毎日、土日の作り方 第九章:光のバッテリー

           


平日用のモバイルバッテリー

 土日が充分であるとは、充分になる土日があるということです。そんな土日が続くということです。しかし、土日の間には平日があります。だから、次の土日が来るまでには、間がある。
 けれど、土日は続いている。そんなふうに、思いたいのです。平日の間ですら、土日の感覚を、どこかで持っておきたい。その感覚を焼き付けるために、土日を過ごしておきたい。
 一つ一つ、土日が充分していけば、自分は満たされます。何が充たされるのかというと、すっかり寝る前の気持ちよさだったり、TODOに集中している時の、時間を忘れる感覚だったり、朝起きた時の、やる気が自然に溢れていく跳る気持ちだったりする。
 そんな、豊かな心持ちが、土日を通して、少しずつ身体に充電されていきます。その気持ちが、平日において、土日に向かう姿勢を維持します。土日のコンセントには、平日でも使えるモバイルバッテリーをつないでおきます。

ベットの側のコンセント

 土日の気持ちは、平日の気持ちに負けません。平日がどれくらい忙しくても、前の土日が充分であったのなら、土日の気持ちはちゃんと残っている。土日に忙しくしてしまうことは減っていくはずです。
 土日に充電された気持ちは、長持ちします。ちゃんと、うまく習慣をこなすほど、その充電ゲージは上がっていく。上がっていけば行くほど、平日でそのエネルギーを使ってしまっても、残る。平日の気持ちと、土日の気持ちは違いますが、そのエネルギーは同じです。
 平日にめちゃくちゃ忙しくすれば、土日は何もする気がなくなります。それは、エネルギーを使い過ぎたからです。反対に、土日に頑張りすぎれば、平日は仕事に精が出なくなります。これも、エネルギーを使いすぎたからです。
 土日も平日も、同じ身体が寝て起きるのですから、充電されるエネルギーも一つです。エネルギーの使い方が、違うだけなのです。平日用のモバイルバッテリーもあるなら、土日用のモバイルバッテリーもあるのです。コンセントは、土日だけにあるのでもなく、平日だけにあるのでもありません。1日が終わる、ベットの側にあったのです。

熱くなるバッテリー

 平日のエネルギーの使い方は、激しい。どんどん使ってしまいます。仕事がどんどんあるからです。簡単な仕事ばかりでも、やはりその数が多いということが、激しい理由になります。
 仕事は、一つやるだけで結構疲れるのです。でも、その疲れを意識しないまま、どんどん仕事はやってくる。他の人と一緒にやっているからです。会社にいるからです。いちいち休んでいると、その組織の活動が成り立たなくなる。
 そんな緊張状態の中で、エネルギーは高速で、燃え上がり、自分の筋肉を動かすのです。動かされるといったほうがいい。身体が自動的に反応するようになっていく。身体がすぐ反応する。頭は冷静でも、身体は自然と焦るようになる。
 仕事終わりは、その身体の燃焼にようやく気づくので、どっと疲れが出る。自動的に動く身体がその日を過ごしていた。一番時間を体感していたのは、身体です。頭は、その身体がうまく動くかを絶えず見張っている役割でした。だから、仕事1日の時間はあっという間です。平日用のモバイルバッテリーは、いつの間にか熱くなる。

年期の入ったバッテリー

 平日は激しいのに対して、土日のエネルギーの使い方は、穏やかです。ジリジリと、エネルギーを減らしていく。仕事は次々求められないので、一つ一つのTODOを、ちゃんと選んで、こなしていくことができる。
 TODOについては、いつ始めて、いつ終えるかも、完全に自分の自由です。だから、自分の体調がちょっと悪いなら、早めに終えることもできるし、少し調子いいなら、ちょっとだけ遅めにしてもいい。そんなふうに、自分の身体をちゃんと観察することができます。
 土日に使われるエネルギーは、その燃焼をよくよく眺めることができる。平日みたいに、とにかく燃え上がらせるようなやり方ではありません。じっくり、いい温度が保たれるように、まちまちと眺めておくのです。
 土日の終わりは、穏やかです。土日は、起きた時から穏やかです。その始まりから寝るまでの時間も、身体を通して長く感じます。あっという間ではなく、すごく大事な一刻一刻が、身体の皮膚の皺になっていった気持ちになる。土日用のモバイルバッテリーは、長持ちして、年期がどんどん入っていく。

バッテリーの漏電

 土日の穏やかさは、平日の間でも続きます。昼休みの時間、仕事帰りの時間、お風呂に入っている時間、これらの時間に、あのリラックスした感じが、一瞬香ってくる。
 この時間は一瞬ですが、けれどその時間を通じて、その匂いを思い出しては、土日にすることを考えたくなる。だから、メモリストをみたり、TODOリストをみたりする。
 リストに触れている時間は、平日の時間と違います。入り込む時間です。一瞬、仕事のことを忘れている。忘れようとするのではありません。リストに触れている間に、自然と忘れていたことに気づく。
 頭は高速には回転しません。周りから見たら、ボーッとしているようにみえるかもしれない。けれど、落ち込んでいる様子ではない。少し、遠くの方をみているような、呼吸がゆっくりしている感じの佇まいになります。土日のモバイルバッテリーは、そんなふうに漏電する。

傷がないのに漏電

 仕事中に出てくる穏やかさは、癒しです。昼寝をすると気持ちいいのは、その間何も考えていないとしても、土日の心地よさに似ています。ポカっと、身体があったまる。温度ではなく、体感として、身体がなびく。
 昼寝をしてから起きた時、自然と、穏やかさが身体に灯っています。その灯った瞬間は、誰にもわかりません。起きたら、そうなっていたことに気づいている。寝ている間に、いつの間にか、静かな呼吸をしている。
 穏やかさは、待っていてもきません。リストに触れていたり、昼寝でうとうとしていたり、ボーッとしていたりするときに、スッと、自分の身体の中から、実はもう出ている。坂を降りていく途中に、気づいたら、なだらかになっていたような、勾配の具合です。
 穏やかさに、予兆があるのではないということです。ちゃんとしたきっかけはない。その掴めなさが、むしろ、穏やかさを特徴づけています。バッテリーの漏電は、傷がないのに起きてくる。年期を経るたびに、漏れてくる。

じっとしているときに漏電

 穏やかさがすでに入り込んできていたのに気づいたとき、身体に風が吹いたような感じがします。足の底から頭の上にかけて、その風は背中を伝って、自分の疲れを全て、洗い上げる。スッキリするのは頭だけでなく、身体全身です。
 まるで、生まれ変わったような気分です。細胞の隅々が、一瞬、小さく光ったような、うまくいけばそんな感覚までもたらされます。元気が出る。食べて元気が出るのとは、また質が異なります。
 食べると、仕事へ向けたエネルギーが充填される。平日のエネルギーです。仕事を頑張ろうというふうに、すぐ考えがちです。けれど、土日の心地よさに憩うと、ゆったりする。呼吸がゆっくりになって、だんだん下がっていって、スッと底までいって、自然と仕事の呼吸に戻っていく。いきなり仕事のことは考えない。
 食べて得られる元気は、身体に入りますが、休憩して得られる元気は、身体の中から浮かんでくる。そのために、まず沈まないといけません。けれど、急いで沈むことはできない。ゆっくり、落ち着かないと潜っていけない。土日の漏電は、じっとしているときに感じるのです。

水溜まる漏電

 身体が休んでいるなと思うとき、土日の気持ちは感じられる。その感じ方は、今、それが発生したという起こりではなく、すでに、湧いてきていた感じです。なので、穏やかさというのは、いつもそこにあるように感じられる。
 夜に寝るときに、ふいに、冷蔵庫の音がうるさく聞こえたり、時計の秒針の音がやたら気になったりすることがあると思います。これまでにはなぜか気づかなったが、気になったらずっと意識してしまうものです。
 穏やかさは、それと少し似ています。知らぬ間に鳴っていて、気になったときにしか思えないというところがです。けれども違うのは、その音が煩わしいものではないということです。心地いいものです。
 穏やかさは、そんなふうに、ずっと流れている。いつでも、足元の方にあるような気がします。ピチッと、思ったとき、感じたとき、すでにそこに、流れを踏んでいた。漏電は、見えない水溜りを踏んだ時のような感触です。その水溜りは、穏やかさが流れている証拠なのです。

水溜まりの自分

 流れている穏やかさに、人は自然に沈んでいきます。穏やかさに気づく前に、すでに人はそこに入っていっている。体感としては、ツーンと、身体全身が透明な感覚で張り巡らされる感じです。
 この時、何を考えているかを考えることはできません。自分の思考を、観察することはできない。自分は、思考するということの真っ只中にあるからです。譬えれば、温水プールの回転式のものに浮かんで、ただただ流されているような感覚です。
 そこに自分というのがいるのなら、自分はどちらかというと思考に巻き込まれているような印象を受けます。思考の方が、自分よりも遥かに大きい。自分は、その思考で感じ取るフィルターそのもののようです。フィルターは、そこで拡がったり縮んだりする。そのような情報量の調整はできるようです。
 思考へフィルターする自分だけが、穏やかさの中で漂う存在です。それは、漏電した水溜りそのものです。水溜りは、よくみると揺れている。リズムよく、どこからかの振動を受け取っている。それは、地面の、地下です。見えない地下が、思考です。その思考から漏電した水溜まり、それが、自分なのです。

掬った水

 自分が穏やかさに入り込んだあと、水溜まりから身体が出てくるように、自分という形が出てくる。それまでは、ぼやーっとしていたのが、急にシャキッとし始めます。
 意識の持ち方が違ってきます。沈んでいる時は、気が散ることを厭わないような、柔全とした構えですが、形になった時は、気が散るのはいけない、何が起きたのかをはっきりさせようとする、かっちりした構えになっていきます。
 意識が切り替わってしまうと、その分、感じていた情報量も捨てられてしまいます。実際に水溜まり状態のときにどれくらいの量を受けているのかは、なかなか言葉にできないのですが、おそらく、ほんの少ししか、その水溜まりの一滴しか、持ってこれないのではないでしょうか。
 水溜まりから身体に変形したとき、足元の水溜まりはもうなくなっている。代わりに、手のひらに、小さな水だけが残っている。掬ったあとです。いまできるのは、それを飲むことです。感じていた穏やかさの一部を味わうことだけです。それが、また次に、水溜まりに気づくことにつながる。

掬った水にうつる夢

 水溜まりから身体になる間で、情報量が激変することを話しました。それは、さっきまで何を感じていたのかを思い出せなくさせます。忘れてしまう。大事なことであることは確かなのに、その身体の隅々にまで行き渡っていた感覚は、盗まれてしまった。
 まるで、さっきまで決定的なアイデアを思いついたのに、それが夢の中だったので、起きたときに置いてきてしまったというような感覚です。もう戻れない。夢と現実の間には、隔絶があります。
 もちろん、夢の一部は掬っているわけですから、全く離れてしまったわけではない。けれど、その一部からは、残りの全てを想像することはできかねるわけです。そこが、喪失感をもたらす。
 少し悲しいかもしれません。けれど、結局、そこまで多くのものを現実には持ち帰れなかったと思えばいいのかもしれない。夢は現実ではありません。でも、夢の一部を現実に持ち込むことはできる。手のひらに掬った水には、まだ微かに、夢の光景がうつっている。

透き通る身震い

 土日の穏やかさに気づいて、そこで感じた一部だけは、意識に留めておける。それを、メモリストに書いておく。さっきまで感じていたことは、この言葉に比べてほんの一部だけど、それでも書き連ねることができた。とっても嬉しいことです。
 少しでもいいからうまく忘れないことができたとき、自分に穴が空き、身体が溜め込んでいたモヤモヤがなくなり、風通しがよくなります。穏やかさから引き離された喪失感がある一方で、一部は剥ぎ取っていけた、爽快感もあるのです。
 その風は、平日のストレスを吹っ飛ばします。平日のストレスは、土日のように穏やかでないところからやってきます。つまり、焦りがストレスを生じさせる。焦っても、本当のところ、穏やかさと速度が合わないからです。そのズレが、平日と土日を生きる私たちのストレスになっている。
 速度のズレを調整するために、一瞬でも、土日の風を身体に吹き込む必要があるのです。掬った水を飲むと、身体の隅々が潤います。細胞に水が染みわたり、細胞と細胞には、隙間があったのだと感じる、そんな透き通る身震いを感じる。

ひんやりベット

 土日と平日の速度のズレが、少しでも快調された日は、よく眠ることができます。速度がズレたままで、焦りばかりの夜は、疲れて寝ることはあるかもしれませんが、気持ちのいい寝入りにはなりません。
 明日も仕事がある、あの仕事はあと1週間が締め切りだ。そんなことを考えながら、考え疲れて寝てしまうのは、とってもしんどいです。朝起きたら、またその仕事のことばかりを考えてしまう。寝ていても、頭はずっと詰まった状態です。
 頭がスッキリした状態で、翌日を迎えたいものです。そのために、平日のある隙間で、少しでも土日のことを考えるのです。土日のワクワクは、平日の仕事を見えないベールで包み、自分の楽しみで気持ちを整えます。
 ワクワクして、そのまま夜が眠れなくなることはありません。つまり、ワクワクは興奮させたままにしない。メモにして、言葉にするのです。言葉にすれば、安心する。安心できれば、スッキリします。これでようやく、寝入りがスムーズになる。言葉によって身体に透き通り切った水は、ベットをひんやりさせます。

布団の冷たさ

 気持ちよく寝入るためには、できるだけ、身体に穏やかさを通すこと、そのために、平日のストレスに敏感であり、そのときに、メモをしていくことが大事になります。
 仕事中に不意に浮かんでくる声は、そのストレスから生じてきます。その声をメモにしないまま、ストレスを無視しておくと、その声がまた強調されて、疲れてくる。その声を言葉にしなければ、疲れたままです。
 逆に言えば、ストレスをメモすることで、疲れにくくなるのです。そうやって、いつも風通しをよくしておく。土日の心地よさを忘れないでおく。その心構えが、自然な眠気を誘います。
 反対に、眠くならないのは、うまくストレスに対処できていなかったということです。けれど、寝ないといけませんから、脳がシャットダウンするまで頭を使うという方法になってしまいます。寝る前にヒートアップして、布団の冷たさを感じて寝るのと、肌触りとしてひんやり気持ちよく寝るのとでは、大きな違いがあるのです。

ずっと涼しい頭

 平日にストレスを溜め込まないのは、スッキリ寝て、できるだけ疲れないように過ごすためです。このことは、土日でも同じです。土日も、スッキリ寝れることが一番です。
 ただ、平日は疲れることが前提なのに対し、土日は、疲れないことが前提です。仕事は人から言われたことをやるので、疲れます。けれど、土日は自分でやろうとしていることですので、疲れることは避けたい。むしろ、ニヤッと笑いながら、もくもくと楽しみに勤しむような、やればやるほど元気が出るような心持ちでいきたい。
 夢中になるのとはちょっと違います。夢中になってしまうと、後で疲れるからです。仕事では夢中は起きるかもしれない。けれど、土日では、もっと素朴に楽しむことをしていきたい。これこれをやって、はい、これで充分でした、と言って終わるように、寝入りたいのです。
 なので土日は、平日以上に、ストレスに敏感です。疲れそうだと思ったらすぐやめるし、疲れそうなことは最初からやらない。ひんやり気持ちよく寝るために、土日には特に、頭をずっと涼しくさせておきたいものです。

背中に吹く風

 土日のストレスは、平日のストレス同様、両者の速度のズレから生じます。ただ、平日のストレスは、土日のように穏やかにできないことから生まれるのに対し、土日のストレスは、平日のように忙しくしてしまうことから生まれるものです。
 その忙しさが迫り出してきてしまうのは、平日の速度に、頭が慣らされているからです。そのために、頭にちゃんと抑制をかけないといけない。そこで、TODOリストが必要になります。
 自分が何をしたいのか、することを把握するのです。僕の場合は、一つのTODOが終わるごとに、リストを確認して、優先順位を決めています。一つをやり終わって、1日の時間を考えず続け様に次のことをやると、もうそこに、平日の忙しさが出入りしてしまっているからです。
 忙しさが迫り出してくる土日をうまく抑えて涼しさを味わい、その穏やかさが迫り出してくる平日をうまく吐き出して落ち着きを感じる。その落ち着きは、土日の穏やかさに緩やかにつながっている。土日の風は、ずっと背中を吹いている。

いい香りのする部屋

 私たちの生きている世界は、土日と平日に分かれています。それは、小さい頃からずっとです。そして、平日は5日間、土日は2日間です。平日の方が割合が多い。そのため、私たちは平日の方にばかり、片足を突っ込んでいる。
 土日はいつの間にか、平日によって侵食されていきました。平日に突っ込んだ足で、そのまま土日の空間を歩きます。土日の床には、平日のインクがどんどん染み付いて、広がっていく。土日は、ほとんど平日に染め上がってしまいました。僕にとって、土日は平日でした。平日が、毎日でした。
 けれど今は、その逆に向かいつつあります。毎日が、土日であるという方向にです。土日のゆとりがまだかろうじて残っており、それを手で掴んでは、少しずつ、平日の空間に混ぜています。平日にそんなことをしてはまずいのではないのかと思っていましたが、むしろ、風通しをよくしてくれました。
 ただ、そのまま土日が平日を侵食することはありません。もし侵食してしまえば、僕は働かないということになってしまいます。生きていくためには、働いてお金を稼がないといけません。生活があります。けれど、その生活を彩り良くするために、土日を使うのです。平日の部屋に、いい香りのするアロマが入ってくる。しばらくその匂いを味わって、さあ、仕事をしようと、そんなふうに思える香り。

無臭の部屋

 平日は一生平日です。ならば、毎日が土日であることなんてあり得ないのではないか。そう思われるかもしれません。けれど、僕がここで言いたいことは、平日と土日が、そもそも全く違うものであるということです。
 平日と土日は、並行して存在しています。それは、身体のリズムとして、僕たちの時間感覚として、両方がある。そして、その両者は、時折触れ合うのです。だから、平日の中には、土日のような瞬間がある。土日の中にも、平日の瞬間がある。
 毎日が平日だと言っていたのは、土日の中に平日がありすぎて、平日の速度が土日に流れ込みすぎた事態の結果でした。僕がやりたいのは、この反対のことなのです。平日の中に、土日の速度を流し込むこと。
 もちろん、流し込みすぎて、平日を土日色にしてはいけない。だけれど、平日の速度のほうが、土日の速度よりも優勢です。人間の身体は、速い動きの方が、遅い動きよりも反応するようにできています。だからこそ、これまで、土日はどんどん平日になっていった。ならより一層、平日に土日をいれていかなくては、釣り合いが取れないのではないか。土日の香りが全くしない、無臭の平日は、息苦しい。

呼吸したくなる部屋

 どんな時においても、ゆったりと土日の香りに包まれていたい。悠然とした態度で、物事に向かいたい。それは、仕事に集中しないことを意味しません。むしろ、冷静かつ、想像的な印象さえ浮かびます。
 そんな人には、いい香りがする。いい雰囲気がする。そこにいるだけで、周りの空気を、ほぐしてくれる。和やかにしてくれる。近くの人は、同じようにいい雰囲気になっていく。穏やかさが、その部屋全体に広がっていきます。
 一人一人が、そんな土日の佇まいを身につけていく。そういうオフィスであれば、あの電話が鳴りっぱなしで、書類が嵩張っているような、あの平日の状況を想像しなくてもいい。コーヒーをいっぱい飲みながら、時に雑談したり、ちょっと一人でパソコンしたり、そんな和やかなオフィスが想像できます。
 土日の匂いとは、ひなたの香りです。ポーッと、包まれて、その層も何重にも感じられる。けれど、そこに入ることは拒絶されない、むしろ、どんどん入っていきたくなる。そこで呼吸をしたくなる部屋が、理想の平日です。

大きな窓に光を

 平日に息苦しさを感じるのが当たり前の世の中です。僕は、その息苦しさを抱えたまま、平日の空気をずっと吸っていたのでした。そこに、いい香りはしないのに、ずっと無臭の中を嗅ぎ回っていた。
 次第に身体の中は、無臭でいっぱいになり、自分の匂いはどこかに飛んでいってしまった。土日は、ベットの中で、自分の匂いを探しているばっかりでした。けれど、ベットから起きようとする瞬間があったのです。
 日が部屋に入り込んだ時です。温かい光、お昼を少しすぎたあの午後の、じーんとあったかい、あの光。その時、僕は、匂いをみつけました。土日の匂いです。その匂いに向かって、僕は、部屋の窓を開けました。
 この窓は、平日の部屋と土日の部屋をつなぐものでした。平日の頑張る気持ち以外に、土日の楽しもうとする気持ちをみつけた瞬間でした。それ以来、僕の心には、大きな窓から、光が入ってくるようになったのでした。

 

*最終章は、今週掲載予定です。