1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

【長編】舞台(4)

静かだった。ホールの様子は、開演準備が整っていた。ただ、お客用の座布団がまだ敷かれていなかった。

座布団を取りに行く。場所はホール内の倉庫。出入り口から入って、左。反対にも倉庫はあるが、そこには照明器具や、主電源がある。

左の方に入る。隅に座布団が積まれている。扉は半開きになっていた。腕一本が通るぐらいの隙間。そこに両手をかけ、ジリジリ開けていく。相変わらず重い。

中を見る。座布団が今にも倒れそうな束になっている。そこから、五枚ずつ抱え、どんどん出していく。

途中で裏方の先輩が気づき、手伝ってくれた。結構めんどくさい作業で、途中で息切れもする。扉を行ったり来たりしていると、ドアが中途半端だったから、何回か肩をぶつけた。

肩の関節が軋む。

 

ようやく終わり。かなりしんどかったものの、座布団を運び出す作業は意外とあっという間だった。

今度は並べる。できるだけ均等な距離間で、並べていく。ただ、端沿いにはなるべく並べないようにする。人が通るからだ。真ん中も少し開けておく。人が席を選びやすいようにするためだ。他にも、撮影カメラを設置する出入り口付近、照明を操作する機械付近にも置かない。以上のルールのもと、手が空いた人で並べていく。

座布団の置き方には個性が出てくる。正方形の傾き加減である。自分はホール奥の壁を正面に並行して揃える。人によっては横壁に近くなるにつれ、斜めにしていく。観客の目線に合わせる。そういう正確な人もいるが、位置だけ合ってればいい人もいる。

いくつか隙間ができていた。いくらかまだ持って来れる。

風で倉庫の扉が揺れる。


まだ残されている。放り出されている座布団。埃がついていた。少し払えば誰でも座れそうだ。

それらは、しばらく誰にも気づかれないままだった。忘れ去られていた。それもそのはず、先ほど取り出した場所とは反対にあった。誰もがまず、積み重なった座布団にばかり目がいっていった。対して今目の前にあるのは、一枚だけなのである。目につくはずがない。

その一枚は、それ以外の座布団を全てを出し切り、ようやく見つかるものだった。限りなく薄くて、座っても座っている感じがしないだろう。多少なりとも、膨らみはあるものの。

端をつまみ、ポンポン叩きながら倉庫を出ようとする。その時、目の端に何か映った。座布団を取り上げた隙間に、ずっと知らない、影があった気がした。

背筋が寒くなる。


戻ることはしなかった。あの黒い影が何なのかを確かめようとは思わなかった。また行っても、そこにあるのは黒い影だろう。意味はないはずだ。しかし、そのイメージが頭からこびり付いて離れない。それを見てしまった。

もしあの時じーっと見ていれば、あの影は何もないスペースだったろう。でも、みた。その影を、みた。頭の中で、それがますます鮮明になっていく。

今摘んでいるものの置き場所に迷っている最中も、その影は片隅で成長している。それは伸びていく。高くなっていく。ちょうど、夜が更けていくぐらいの速度で、沈んでいくのではなく、出てきている。夜が出てくる。

後ろ姿だ。頭の形が出てくる。肩が浮かぶ。腕、腰、足が、スーッと、ゆっくり現れる。もちろん、勝手な想像である。あくまでそれは、勝手に動いたイメージ。

頭の中心が、締め付けられていく。


重い。座布団を持った手首がダルい。そのものは軽いのに、手首は疲れる。関節が離れそうになり、手の方が座布団に吸い付くような感覚だった。

それにしても、どこに置こうとしたのか。さっき、思い立って倉庫に入ったきり忘れてしまう。置き場所がない。でも置かないと、そこら辺に放置することはできない。倉庫に戻すという選択肢はない。そこにはあいつがいる。

あいつは今、立った状態でいる。ただ、手の自由が効かないでいる。手首が結ばれている。紐のようなもので括られている。

そんな状態なのに、落ち着いていた。むしろそれが当たり前かのように、スンとしている。それでようやく、安心してきた。あいつは別に、俺を襲ってきたりしないのだ。ただ、そこにいるだけななのだ。座布団を置く場所を見つける。

手首の骨を鳴らす。


置けた。微妙に空いていた隙間を見つけた。これで会場としての雰囲気がまとまった。
しかし改めて眺めると、今置いた座布団だけは薄い。そこから、冷気が四方に漏れ出しているようだった。

急に、倉庫の扉の方を向かなくてならなかった。引力のようなもので首を動かされた。そいつは、さっきまでぼーっと立っていたそいつは、ぐるりと、とても滑らかな速度で首を、頭と身体を結ぶ首を、こちらへ回転させた。扉は閉じている。しかし明らかにその裏で、その顔が、自分の顔と相対していた。

強張った。身体が動かない。自分の身体は半分舞台に、もう半分は倉庫に向いていた。身体が二つに割れそうだった。しかし、助けを呼ぼうなどとは考えなかった。とにかく仕方がなかった。

目が飛び出てしまいそうになる。


引き戻そうとする。自分はこれから舞台に立つのである。それに主役である。最後に確認しておきたいシーンもある。だからこのまま突っ立っているわけにはいかない。どうにか、倉庫に向いている右足をなんとかしたい。

目を閉じる。今度は耳鳴りが始まる。細い細い音が鮮明になる。その糸は遠くを思わせると同時に、最も耳の近いところに届いてくる。
その音は鳴り続け、次第に、その奥に、別の音。ギッ、ギッ、ギシギシ、ギー。何かを縄で縛っているような。

ああ、首だ。あいつの首だ。ああ、そうだった。扉の奥にいる、あいつだ。あいつの首は、あの妙に落ち着いた佇まいは、首を吊っているのである。あいつはあそこで死んだんだ。四隅の角で、誰からも知られない、冷気の集まる場所で。

目にかかる圧力がようやく治った。


寂しいと思った。不思議な感情だった。その抱き先は、あいつだったから。
彼は何を悩んでいたのか。背中越しに考える。さっきまで姿は、記憶の中で、朧げになっていく。

首を吊らず、待って欲しかった。いつ吊ったのだろう。自分は、それを知っていたか。
せめてその瞬間に居合わせていたら、なんとかできたかもしれない。彼の足元には椅子が倒れていた。

椅子に乗って、死んだ。椅子を倒して、死んだ。自分はその椅子を、元に戻してあげればよかったのではないか。そうすれば彼は、自分の首を締めることに至らなかったろう。

いつまでも縄はかかる。けれどそれは、死ぬことにはならない。かかったままでもだ。そこで見張りをしていれば、椅子はいつでも戻せる。いつか必ず、彼も、自分から縄を外してくれる時まで。

僕は俯いた。


不甲斐なかった。自分が情けないと思った。この気持ちのまま、本番には望めない。何かを忘れている気がした。

この練習期間、自分は一生懸命にやってきた。しかし、何を練習したか。セリフ。役作り。裏設定まで考えた。そうしないと、感情が出てこなかった。

感情は作れるものだと思った。ただ嘘ではないけない。本当の感情だ。けれどそれは、自分に向けられることはない。見ている人に向けられる。だから自分は空っぽである。

しかし、完全に取り繕っているわけでもないのである。感情が出ている最中は、身体の隅々で痺れている。感情が流れているからだ。当たり前だ。それが役者だ。でも一つ気がかりなのは、そこに自分の声がないということ。

ふと足元をみる。そこには、椅子に付いていたテニスボール。

身体の内側を、風が撫でる。


呼ばれた。先輩の声だ。舞台にいる。一度、やりたいシーンがあるらしい。自分も同じだった。強張っていた身体は動くようになり、舞台に向かう。

舞台といっても、そこに高さがあるわけではない。灰色のシートをいくつも横並べし、そういう区画を作っているだけである。そいう作りになっているから、後ろのお客からは役者の足元が見えない。最前列だけ、足元が見える視界になっている。そうして今、自分はその正面で、先輩とセリフを投げ合う。

会場にはまだ誰もいない。けれどそこにはもう時期、蠢くぐらいの人が、お客がやってくる。彼らは皆、自分の演技を見てくれる。目にしてくれる。いや、目にせざるを得ない。

興奮した。声が響き始めた。喉の調子も悪くない。いける。このまま本番に突入してもいい

足元は、舞台を踏んでいた。

暗い天井を見上げる。