1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

【長編】舞台(7)

-私-

ふらっとした。貧血気味なのか、舞台が始まるとともに、身体が傾く。

彼がセリフを話し始めた。あれ、出だしがいつもと違う気がする。少し焦ってる。少し早口になってるし、体の重心も妙に落ち着きがない。いつもより、セリフの入りが早いような…。

いや、そうじゃない。最初のセリフを抜かしちゃったんだ。何やってるんだ。相変わら緊張に弱いのね。練習の時でさえ、いっつも緊張してるんだから。まあ癖といっちゃ癖だし、仕方ないところはあるけれど、もう始まっちゃったしどうしようもないよね。

しばらくは長台詞が続くし、お客さんは違和感なく聞いているようだけど。今は自分のセリフを確認しとこ。えーっと、暗くて見えづらい。

スマホのライトをつけ、袖の奥に隠れる。三角座りをして、台本を手に持つ。

私は、縮こまっているのが好きだった。

 

もたれる。自分のお尻を奥の壁にくっつけ、背中も壁につける。セリフは確か、五ページぐらい後だったな。

それにしても、彼のセリフ長いな。よくこれだけ覚えられたもんだ。

同期の彼はめんどくさがりな自分と違って、よく練習をした。昼休みたまに部室に行くと、必ずと言っていいほど、そこにいた。

部室は学校の隅っこにある。緑の茂った壁の前で、いつも発声練習をしていた。

彼は自分の声の出具合に集中していて、後ろを通っても全然気づかなかった。それくらい、集中もできる人だった。

けれど人といると、その集中がなくなってしまう。どうにも、彼は気を使いすぎるらしい。そんな彼は、結構大変というか。

多少なりとも、自分のようなめんどくさがりな性格を取り入れたほうがいいのではないと思ったりもした。

背中がひんやり冷たい。

 

合わせてみる。彼が今話しているセリフを、自分も口ずさんでみる。そんなことしたことなかったけど、やってみると面白い。こちらは台本を見ながらで、条件は違うけれど、彼の速度とか、言い方がどんなものなのかはよくわかる。

彼の言い方は、一文字一文字、詰めるように言うんだ。セリフの音の一音一音が、ちゃんと自分の声として出てくるように、そしてそれらが、観客の方に、パズルのピースのように配置されることを望んでいる。

それに比べて自分はぶっきらぼう。音一つ一つを気にしているわけじゃない。ただもっと大きく、セリフ一つ一つを意識してる。彼みたいに石ころを扱うみたいに話すんじゃなくって、一本のヤリを投げるみたいにする。そしてそのヤリが、観客の心臓を射抜けばオーケー。射抜けなくても、怪我をさせて弱らせれば大丈夫。

ちょっと笑う。

 

すごいんじゃないか。自分の声って、結構人前に届く気がする。そんな気がしてきた。ああ、なんかできそう。初めての演劇だけど、ちゃんと見てくれそうだな。

まあ、こうやって調子に乗って、最後は失敗しちゃうってのが自分なんだけど。でもそんなことわかってて、よく演劇部なんて入ったよなぁ。

何か部活に入らなきゃと思ってたから、ちょっとでも楽しそうなところがよかった。

中学校の時は運動系じゃなかったけど。そういうのはやっぱり向いていないだろうと思って。

でも、ひっそり地味に活動しているのもなんかなーって思ってた。だからこう、なんか、はじけてみたいって思ったんだろうな。

ただ調子に乗っちゃうから、ある程度人の目があるところっていうか、みてくれる人がいるところがいいなと思ったのね。

一人で妙に納得。

 

追い抜かれた。彼と同じようにセリフを読んでいたが、彼の方が先を言い始めた。慌てて、早口になる。不意に、声が大きくなってしまった。大丈夫か。辺りを見渡す。大丈夫。誰にも聞かれてない。

自分は人の口調を真する癖があった。歩いててもそう。誰かが通り過ぎて、その人の口が気になったらならもう、自分も動かしてる。もちろん声は出さない。あくまで口パク。

それで真似すれば、ほんの一瞬、自分から離れられるような気がした。背の低くて小さい、いつも他人から見下されていると感じてしまう自分が、ちょっと薄れる気がした。

登下校はいつも憂鬱だった。人の視線が気になる。ふと自分を見てくる人は、何を思っているのか。なんで下目に見てくるのか。身長差じゃない。何か、何かを確認しているような感じがする。

目がボーッとしてくる。

 

代わった。彼が袖の反対側に戻り、先輩が舞台に出てきた。

あの人はほんとうに面白い人で、怒ったところなんかみたことない。部活でも、いっつも笑わせてくれる。もちろん、ただふざけてるんじゃなくって、そこには演劇的な要素がちゃんと含まれてて。さすがだなぁと思わされることもある。一言で言えば、尊敬している。

先輩はネタ帳を持っているらしく、引き出しがとても多い。だから、色々な役もこなせる。まるで、怪盗二十面相のよう。

その先輩は声質もかなりイケてる。男性の、ちょっと低い声。私を含め女子なんかは、いわゆるキュンってやつ。喉の奥で絡んでる、ほんのり濁声。だから、その部分だけ取ればかっこいいわけではないけど、やっぱり声の響く感じを含めると、それがいい声に変わってく。

私はずっと耳を澄ませていた。

 

みられた。先輩が私をみた、気がする。先輩の顔は、観客席に向いてるけれど、確かに顔が一瞬、いや、顔じゃない、目が、目だけがこちらを向いていた。公演が終わったら聞いてみよっ。あの時見ましたかって聞いてみよっ。

そしたらどんな反応するだろう。きっと先輩のことだから、え?という反応で帰ってくるか、そんなわけねーじゃんって照れ隠すか。そのどちらだったとしても、想像するのは楽しかった。

先輩の顔は、かっこいいというより、かわいいよりだった。少し頬にニキビがかかり、顔だけをみればわんぱくな感じ。でも、みんなと一緒になって遊ぶよりも、一人で森に入っていって、虫を取って来るような。

でも、それをちゃんとみんなのところに持ってって、見せびらかしてはみんなの憧れを集める。そんな人柄だ。

気持ちがほっこりしてきた。

 

またゆらっとした。例の貧血だろう。やっぱり今日は調子悪いかも。だって本番だし、その割には結構ぐっすり寝たのだけど。

私は頭痛持ちだった。授業中でも不意にやってきた。友だちと話している時でも起こる。

そういう時、つい眉間に皺を寄せてしまう。怒っているのか、機嫌が悪いのかと思わせてしまう。話してる時は気づかないのだけど、別れた後にあって思う。

頭痛だと、その痛みに集中してしまう。ズキズキではなく、ズクズクと、頭の奥に向かって掘られていく感じ。そのスコップは、私の核みたいなものを掘り当てようとしていて、それを見つければ、もう頭痛は来ない。でもそれに触れた瞬間、自分の頭にどれくらいの痛みが走るか。想像を絶する痛みかもしれない。これまで味わったことのないような痛みが。

自分のおでこを押さえる。

 

沈む。背中をさらに壁にくっつけ、お尻をさらに深くする。もうちょっとで私が出る。あの先輩のセリフが終わったら、同期の彼と出てくる。それが、私の顔見せだ。

親も来ているだろう。きっとお母さんが来てくれている。ここからは確認できなかったけど、楽しみに来てくれただろうと思う。

お母さんは優しい人だ。私が反抗期で、捻くれた反応をしても、お母さんは優しくしてくれる。たまに、思っていることと正反対のことを言ってしまうこともある。それでもお母さんは、優しくしてくれる。その心構えというか、態度がすごいと思う。

私はそんなお母さんから生まれたのに、同じような大人にはなれない気がする。なりたいけど、どうしたらいいかわからない。だから、反抗期なのかもしれない。なんで教えてくれないのか。どうしたらそうなれるのか。まだ全然子どもだな、私。

口を固く結ぶ。

 

立っていた。舞台にいるのは先輩じゃない。彼だ。彼がもう舞台に出ている。

あれ、いつの間に先輩は戻ったのか。先輩は向こうの袖、気づかなかった。ちゃんと見ていたはずなのに。

練習だと彼と同じタイミングで出る予定だった。けれど、彼は耐えかねて出てきた。舞台の間がもたなかったから。

ああ、やばい。台本のセリフはもう確認しなくて大丈夫。衣装もちゃんと、スカートの紐も結べてる。よし、ええっと、大丈夫、大丈夫。私はこういう時でも、外見だと緊張は伝わらないタイプだから。

一呼吸置く。彼は舞台の椅子に座り、時間を稼いでる。ありがたい。でもちょっと不自然じゃないか。私がもしあいつだったら、もうちょっと自然な態度を取る。まあそんなこと思ってても今更どうしようもない。

よし、出るよ。出ます。私。はいっ。

「待たせた?」と私は言った。

 

(続く)