1ルーム

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【長編】冒険の神話(13)

呼び出しがかかった。きっと雲の上の主からだろう。

その調べは、一見なんの変哲もない騒めきで示された。あの夜の後、僕はずっと草原で寝ていた。そしたらふと、目が覚めたのである。周りは、草で囲まれている。その草が、本当に少しだけ、自分の方に迫ってきていたのである。これが合図だ。
そんな印であることを僕は知らなかったのだけれど、きっとあの矢で心臓を射抜かれた時、仕込まれたに違いなかった。

それにしても、何があって呼び出されたのであろうか。自分が悪いことをしたような気はしない。仕事は真っ当したはずである。もしかして褒められることをしたのかもしれない。そう考えた方がいい。翼も伸びが良くなる。

僕はそうやってご機嫌を取りながら、空の方に登っていった。

雲の上に上がると、既に他のものもいた。

 

この仕事を始める前、この雲の上にいたことは確かなのだが、しっかり他のものの姿や形を確認したことはなかった。

改めて見てみると、滑稽だった。第一、みんな裸である。男か女かと問われれば、どちらかといえば女の体型。ただし、生殖器があるわけでもないし、中途半端にグラマラスなボディである。頭には誰もが輪っかをつけているが、そこには個性が出ている。先にも話したが、青色と赤色のグラデーションからそれはなっていて、全方位にそのギザギザは広がっている。そして、それはその者の感受性によってカタチが決まってくるのである。だからある者は、三角形になっていたり、別の者は八角形になっていたりする。それに、その基本形は変わらないのであるが、その包囲は雲の下の地上の様子に対応しているから、少しずつではあるが、カタチを変化させていた。

なら、自分の形はどうなっているのか。

それを確認することが自分ではできなかった。上を見ても、その輪っかは見えないのである。この輪っかは、他の者からしか見えない。

 

そこで、隣にいた者に話しかける。そいつは頬がぷくっとしていて、なんとも可愛らしかった。僕の好みである。しかし恋愛感情ではない。地上の人間が、人形に対して抱くような気持ちである。

そいつは僕が側に近寄っても、なかなか気づいてくれなかった。見た目以上に、こいつはぼーっとしているのである。そこもまた可愛い。

僕はそいつの肩をツンツンと突いた。そしてようやく振り向いた彼に、少し恥じらいを見せるよう、後退りして、手を後ろに重ね、もじもじした。それに加え、口下手なふりをして、口の方もモゴモゴさせた。まるで人間が好きなものに告白するような、その状況を演出してみせた。

そいつはようやく僕に気づいた。しかし、思った反応は違った。無視されたのだ。
一体どういうことだろう。今はそんな気分ではないのか。あるいはもしかすれば、自分の姿がかなりひどいものであるのかもしれない。

そう考えると、ますます後者の可能性を感じるようになってくる。冷たい気持ちが、自分の中で芽生え始める。だめだ、このままだと他の者たちに心臓を射抜かれてしまうかもしれない。どうにか、温かい気持ちを持たなくてはならない。

そこで僕は再び、そいつに話しかけた。君はどんな町に行ったことがあるかい。

さっきまでの緊張した態度をまるっきり見せなくなった僕に対して、そいつは驚いた様子をしていた。まるで変なものの姿を見るようにして、顎を少し引いていた。
そんな表情しないでさ、ね、教えてよ。僕はね、こんな町に行ったんだよ。

僕はそこから一方的に話し始めた。ほとんど相手を無視して、ずっと、相手が耳を塞ぐまで喋り続けた。けれどそんな態度をされたら、もっと心が冷たくなってしまうじゃないか。僕は一体どうしろというのか。

次の手段は、肩揉みだった。僕は奴の背中にささっと周り、肩を揉んだ。そいつの肩は皮膚と脂肪でぶよぶよだったが、その奥にはしっかりと固い筋肉があり、ちゃんと仕事をしているのだと思った。

僕のマッサージがそれなりに気持ちよかったのか、そいつは静かに話し始めた。

 

彼は、ある港町に行ったらしい。僕みたいに冷たい気持ちの人を探したというよりも、とにかく涼しいところに行きたかったそうだ。彼はこの生き物になる前の記憶を持っているらしく、ずっと海の方に行ってみかった。

彼はそれまで、山で暮らしていた一人の人間だったのだ。

彼は男性だった。木を切っては売る仕事をしていた。隣にはいつもお父さんがいたそうだ。

木を切る仕事はお父さんから継いだもので、最初から手ほどきをしてもらっていた。

まずこの仕事で肝心なのは、木に触れることだ。それはただ手を添えて上を見やって感動するというだけではいけない。ちゃんと、木の皮を触る。うまくいけば、木はこしょばくて笑うのだという。そして木一つ一つに、その勘所があり、ずっと笑ってくれない木と、笑ってくれる木がいるとのことだった。

笑わせ上手は、なんたっても人ではなく風だと言った。風が吹くと、森全体が揺れるだろう。あれは木が笑っている証拠で、それは風が一本一本、木の急所をくすぐっているからなんだと言った。

そしてそういうことを風にも教えてもらいながら、その部分を目掛け、ノコギリを差し込む。それで簡単に切れる。

仕事のコツを覚えてからというもの、父は体を壊してしまい、寝込むことになった。

一人で親の分まで養っていくのは大変だった。それでも働いた。木の方も、そんな自分の境遇に情けをくれたのか、中身をスカスカにしてくれる木もあった。でもそれだと、あまり高値で売れないので、困ったものだったけれど。

そんな話を一通りして、そのものはいよいよ今の仕事に至った経緯を話し始めた。

いつものように森で木を探していた頃のことだよ。リスがいたんだ。リスが走っていった。木の実を持ってね、駆けていったんだ。長い間山に住んでたのに、実はリスを見たことがなくってね。それで、思わず追いかけた。そしたら、一つの巣を作ってて、お母さんだった。他にはお父さんも、子どもも二人ほどいたかな。持ってきた木の実を割って、さらに割って、みんなで分けて食べていたんだ。

その様子は大変微笑ましかったよ。お母さんがいていいなぁと思った。そしたら、その時だよ。後ろにあった木が倒れてきたんだ。切り込みを入れていたわけじゃない。でも、倒れてきた。劣化だろうか。まあそんなことを考える暇はなかったね。唯一考えたことは、そのリスたちに当たってしまうということだった。このままだと潰されてしまう。だから僕は庇ったのさ。それでリスたちはなんとか逃げられて、僕はそのまま背中ごと潰された。一瞬の支えで良かったんだよ。ガッと打って、その際に一瞬でもスピードが緩めば良かったんだ。それでリスたちは無事だったと思う。なんせすぐだったから覚えてないけどね。でもまあ、痛かったなぁ。ほら、背中に縦一本の傷があるだろう。これだよこれ。

確かに、そいつの背中にはその傷が残っていた。切られていた。そこからまた縫われたように、修復されていたけれど。身体に傷のある奴が、過去を覚えているのかと思った。

それでまあ、短い生涯だったけれど、最後は誰かのために命を捨てられて良かったよと、そう述べた。

 

羨ましいと思った。まず、記憶が残っていることに対してだ。僕はまるっきり、それまでの記憶がなかった。僕の個性というのはあるのだろうけれど、それもまだよくわかっていないし、わかったところで、過去のことを知る手掛かりにはなりそうもない。

そしてもう一つは、誰かのために死ぬということ。僕は今までの生き方については考えてこなかった。死ぬなんてことすら考えてこなかった。もちろんそれは、一度死んだ記憶のある者だから言えることなのかもしれない。けれど、僕は人が死ぬことばかりを目撃してきたのに関わらず、それが自分にも起こりうることだと思ってこなかったことを恥じた。しかし果たして、この生き物に死は訪れるのだろうか。
そこで、彼の考えを聞いてみた。

彼の答えは明確だった。我々は死ぬのだと。断言して言った。

だって、僕は死ぬことしか知らないんだもの。だって仕事だって、いつまで続けるのさ。続けてられるのは、終わりがあるからだろう。僕は今この弓矢の仕事を続けているから、それも終わるのさ。続けられるから終われる。単純なことだよ。

そうか。僕もそう思った。だとすると、この仕事もやりがいのあるようなものに思えてくる。これから、どんどん人に弓矢を刺していこう。迷っている人間に、いくばくかの勇気を与え続けよう。そして、彼らが望む死を与えよう。だから、彼らも今こうして雲の下で、せっせと生きているのだ。

そう思うと、人間の仕事というのは生きることである。対して我々の仕事は、人間の人生を終わらせ続けるということなのである。

じゃあ、そんな我々は、果たして生きていると言っていいのだろうか。