【短話】雲
穏やかな気候だった。山が広がり、海が裂ける。
海が、広がっていった。山が裂けていく。
記憶はどこにあるんだろう。頭の中だろうか。それとも身体。
違う。場所じゃないか。目の前に起きていること、生まれたところ。
水が傾れ込んでくる。このままだと巻き込まれてしまう。普通なら逃げるかもしれない。けれど僕はその反対をいった。
泡が喉に入る。身体が締め付けられた。冷たく、何のオブラートもなしに。
リズムをとって、斜めに潜る。打ち出されているのか、分け入っているのか。海流の隙間を縫うようにして、身体が大きく形成され、伸びていく。
流れが収まり、静かな海の中。周りに確認するものなく、前にあるだけ砂の円。
円は細かい粒でできていて、近づけば細かく振動している。触れれば全部逃げてしまうだろう。
代わりに仰いでみる。楕円の波形を作る。
当たったところで、変わらない。
光が差して、正体がわかる。
その円は渦を巻いていた。海底から海面へ、均等な遠心力を上らせている。
腰に手を当てる。
うまくいかなくてもいい。入ってみるか。
恐る恐る手を入れてみる。
痺れた。痛くはない。しかし手の皮膚の表面は千切りされ、剥がれようとしている。
ちょっと動かすと、ズレた。線状になった手が、本体から外れた。
渦に吸い込まれ、回転したこと思うと上昇していった。
手はピカピカになっていた。
上に透かしてみる。
光が屈折し、手のひらに集まっていく。
真ん中が熱くなったところで、ぎゅっと握る。それをそのまま、渦の中へ放つ。
沈んでいく。底で静止した。
すると、粒たちが囲んでいく。
あっという間に覆い尽くしてしまい、茶色の玉が生まれた。
と思えば、水を吸収している。流れが落ちていく。
玉の大きさは変わらない。渦の勢いだけが弱まっていく。
収まってしまった。キレイな水だけがある。
僕は玉に手を伸ばす。
海面に上がり、空に出してみた。今度は灰色になり、乾燥して軽くなる。
粒が密積した中に、光りが散らばり煌めいている。
太陽の方にかざすと、手から消えてしまった。
玉は空の穴に入ってしまった。
雲の流れが変わる。右から左へ流れていたのが、玉へ集まっていく。
そうして、全部の雲を閉じ込めてしまい、光を失ってしまう。
水が必要だった。僕は手のひらをバケツみたいにして、空にぶっかけた。
けれど、部分しか吸い込んでくれない。
染みから頭が浮いてきた。目が見えない人。耳が発達している。
何かを語り始めた。聞き取れない。
唾だけが飛んでくる。海面に落ち、油のように混じらない。
それがしばらく続いた。一向に終わらない。僕は、仰向けになって待っていた。
喋りすぎたのか、嗚咽し始める。けれどやめない。
舌が落ちてくる。歯も落ちてくる。
やめた方がいいのに。
そいつは口パクになる。音のない空気だけが散発してくる。
僕は痺れを切らし、そいつの口を摘んだ。喉が締まる音。
ジタバタして、涙目になっていた。そんなにして喋りたいのか。
指の力を緩めた。その瞬間だった。
新しい舌が、僕の手のひらを舐めたのだ。
そいつは唇で味を確かめながら、ゆっくり二回ほど回転させる。
目が開いた。いくつも開いた。
涙が溢れ、そのまま玉ごと覆ってしまった†(イ)。
手の甲でノックする。柔らかい、けれどすごく薄い。
凹んだ。触ったところが動かない。
色々な側面から叩く。どんどん小さくなっていく。
光が内側に入っていくのがわかった。外に向いていたのが、奥に奥に折り込まれていく。
叩きすぎたか、ヒビがはいる。
赤色の液体が染みてくる。
終わりを迎えていた。
染め上がり、全転している。
沸き立つ。穴が空いたり、埋まったり。
同じ穴が無数に現れ、消えていく。
排出されるのは、雲。
次々と、解き放たれていく。真っ白のカラーボールみたいに。
雲は海に落ちていく。
水を吸って、重たくなっていく。
周りを囲われる。
水が引いていった。
雲は大きくなって。
色が緑色に変わっていく。
気づけば山の中。
照りつける太陽。
足元に続く道。元が川だった道。
音がした。
チョロチョロと漏れる。
石が重なる、その隙間から。
液体が、赤色か、灰色かの。