1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

放ちながら掴む【坂口恭平を走り書く_2】

 僕は死者からの附箋を発見し、言葉にしたいというエネルギーを持つと、まずは体を動かしはじめる。勢いよく歩いたり、人とより多く会おうとしたりする。そして、機が熟すると台所へ向かい、妻の前でああでもない、こうでもないと振る舞いはじめる。体をひねる。壁に頭をぶつける。手を伸ばす。貧乏揺すりをする。
 そうこうしていると少しずつ、蛇口から水が出るように言葉が出てくる。しかし、それらの言葉も脈絡のないつながりで、聞いている妻はよく分からないという顔をする。それではいけないとまた体を動かし、よじり、雑巾を絞るように言葉を出そうとする。そうやって体を動かしていると、言葉が少しずつ一人立ちしてくるのだ。
 この一連の動きは、いつも僕に演劇の起源を感じさせる。

坂口恭平(2014) 『現実脱出論』(講談社) p.144


僕はリトルモアの営業部に電話をしてみました。初めて本を出すやつのくせに海外で本を売ろうとしていることを少し笑われましたが、仕方ありません。ジムがやる気満々なので。

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工夫の人生はバラ色である。工夫、工夫。工夫しまくって誰にも考えつかないような路上人生を送ってやるぞと、おれは意気揚々でニヤニヤ顔になっていた。

坂口恭平(2012)『隅田川エジソン』(幻冬舎) p.43

 

螺旋のように出てきている。頭の中だけでなく、周りと巻き込んでいる。自分と相手の接面が現れて、あちこちで採光している。

 

 

「ことは」を集めろ。落ち葉集めのように僕とアオは入り込んでいる。この遊びが僕は好きだ。僕はこのように金のかからん、零から自分でつくった、訳のわからん、でも自由の風を感じる遊びのことを「零遊」(ルビ:ゼロあそび)と呼んでいる。
 僕はおそらく狂っているのだろう。早く寝ればいいのだ。だから、もう寝る。

坂口恭平(2013)『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院)p.40


 本気は病気になれば休ませないといけませんよ。会社も一応、病気になったら休んでいいと口では言ってます。しかし、実際は違います。僕は10年間、いのっちの電話をやっていて、死にたくなった人からの電話を受けているのですが、電話をしてくれる人の多くが、大人です。学校を卒業し、会社で働いている人たちです。彼らに僕は、死にたいのなら、まずは会社を休んで、ゆっくりした方がいいとアドバイスをしていました。しかし、彼らはみんな、会社を休むことができないと言うのです。だから、休むことができない学校みたいなものなんですね。
 それなのに、なぜ大人はみんな会社に入ろうとするんでしょうか。こんなに大変なのに。

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僕子宮に17日間くらい閉じこもったらしいんすよ。母親も多分出す気がなかったと思うんで、多分お互い同意した状態で、そのまま死産という道を選ぼうとしてるような感じっていうか。なんかそしたら最後多分ちょっと僕の感覚としては母親が謀反を起こして、暴れだす、なんか階段をなんかもうとにかく走り回って飛び降りたりしたらしくて。

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うずくまることは、渦くまるということ。チラチラと、弾けるのか吸い込むのか。その間の状態が、丸く丸く小さい円たちで結び、全体として浮動している。