1ルーム

色々な1ルームを作って、シリーズ投稿しています。

2023-01-01から1年間の記事一覧

【長編】冒険の神話(9)

背中の感触が柔らかかった。誰かの笑う声。遠くの方では、嘆く声。悲しい気持ちになったり、嬉しい気持ちになったりする。落ち着いてく気持ちは、ただ分厚い、安心感であった。 日の光が近くにあるだろうことはわかる。それも相当近くだ。けれども、不思議と…

【長編】冒険の神話(8)

船自体はそれほど大きくなかったが、操縦室と、その奥に倉庫部屋があった。 操縦室の窓ガラスは割れており、そこからハンドルが剥き出しになっている。 僕はその部屋に入った。そこにはたくさんのボタンがあった。船を操作するのに、これほどの数が必要なの…

【長編】冒険の神話(7)

僕は死ななかった。海に、あの油の海に落ちていったのだ。あれほど遠かった海まで飛ばされたのだ。 落ちた時、衝撃はほとんど感じられなかった。むしろ、包んでくれる感じだったと言っていい。僕の落ちるところを、身構えて待ってくれていたように、海は僕の…

【長編】冒険の神話(6)

キツネはそれでも首を横に振る。なんでそんなに否定するのさと、僕はまた肩をくすめる。 すると、俺も同じだったからだと答える。要するに、俺も、お前と同じであの果実を取ろうとしたんだ。でも取れなかったから、こんな姿になったんだ。俺は普通の人間だっ…

【長編】冒険の神話(5)

道をずっと登っていく。砂粒だった道は、次第にその石を大きくし、瓦礫の道になっていく。周りの木々は、隙間の空いた地面から巧みに姿を紡ぎ出し、そこら一体の瓦礫を食べるかのように生えている。 それらの木はどこまでいっても高く登っており、その様子は…

【長編】冒険の神話(4)

起き上がる。外を見る。子どもたちはそろそろ、各々のビルに戻っていったらしい。 それは、遊んでいた子どもたちだけ。 窓から見える道には、別の子どもたちがいる。遊んでいない。俯いている。 さっきの楽しそうな子どもたちとはうって変わり、そこには苦し…

【長編】冒険の神話(3)

階段はやけに砂こけていた。足には砂がこびりついている。自分はここで、足裏の感覚を取り戻しつつあった。 次第に昼の匂いが香ってきた。壁には植物の蔦が這い始める。地上に近づいている。光が差し込んでくる。 気づくと、地上に出ていた。光がほとんど出…

【長編】冒険の神話(2)

船がやってきた。この流れの横幅はそこまで広くない。このままだとぶつかる。 その船は、上流の方、山の頂上からやってきたみたいだった。木の船。何か積んでいるような。 すると、僕のぎりぎりのところで何か竿のようなものを出してきて、底に突っ立てた。…

【長編】冒険の神話(1)

立ち上がり、ムクっと起きた。外は真っ暗で、蒸気だけが満ちている。 起き上がるだけで、身体が軋む。ずっと寝ていたようだ。それも、死後硬直のように。 目覚めた時、ハッと、息を大きく吸った。その衝撃で、横隔膜が驚いたのか、ずっとしゃっくりが止まら…

【長編】舞台(10)完結

足りない。こんな音ではダメだ。ダメになる。 足の震えはまだ治らない。もっと、もっと踏む。足裏が地面にくっつくぐらい。 膝を曲げ、重力に従い、力を込める。足の骨が軋んでもいい。いま、ようやくその音を捉えたんだ。今まで練習してきたのに、ずっと気…

【長編】舞台(9)

ー僕ー 離れた。離れざるをえなかった。彼女が唾を吹きかけてきたからだ。 僕は彼女の首を絞めていたことに気づく。顔中が、シャワーより細かい感覚で満ちていく。こんなにも唾を浴びたことはなかった。そもそも人に浴びせかけられたこともなかった。 何をし…

【長編】舞台(8)

嫌そうだった。彼の顔。面倒臭そうにしていた。 私が遅れたのがそんなに?まあ、初めての舞台だし、そう思うのも無理ないけど、それは私だって同じだし、私も緊張してる。外から見たら、私はすごく落ち着いているように見えるけど、結構緊張してるんだから。…

【長編】舞台(7)

-私- ふらっとした。貧血気味なのか、舞台が始まるとともに、身体が傾く。 彼がセリフを話し始めた。あれ、出だしがいつもと違う気がする。少し焦ってる。少し早口になってるし、体の重心も妙に落ち着きがない。いつもより、セリフの入りが早いような…。 …

【長編】舞台(6)

繰り返す。踵を上げ、降ろす。上げ、下ろす。体重が、両足二点にのしかかる。ずしんと、自分だけに響く音。 内臓が揺れる。しかし、上下には揺れない。お互い引っ張り合い、上下左右の斜めに動く。遅れて動く。身体全身の動きについてくるように、定まりのな…

【長編】舞台(5)

頑張ってきた。たった二ヶ月の練習期間。これほど一生懸命、何かに取り組んだのは久しぶりだった。受験勉強以上に必死だった。 入部してから、いきなり脚本を渡され、主役をやってねと言われる。もちろん、脇役を選ぶこともできた。けれど、自分はそこまで言…

【長編】舞台(4)

静かだった。ホールの様子は、開演準備が整っていた。ただ、お客用の座布団がまだ敷かれていなかった。 座布団を取りに行く。場所はホール内の倉庫。出入り口から入って、左。反対にも倉庫はあるが、そこには照明器具や、主電源がある。 左の方に入る。隅に…

【長編】舞台(3)

落ち着かなかった。開場三〇分前、ホールの外での自主練。思うように身が入らない。初めて人前に舞台に立つ。観客に伝わる演技というものがどういうものか。そのことばかりが不安だった。 新入生歓迎公演という理由で、大役を頂けたことは嬉しかったが、その…

【長編】舞台(2)

大きくなる。観客が盛り上がったせいであろうか、先輩の声量が普段よりも聞こえてきた。自分は台本を手に取り、次の出番を確認する。それはメモ書きだらけで、ボロボロだ。端は破れちりじりになっている。セリフの一部には穴が空いて、周りへ皺が広がってい…

【長編】舞台(1)

暗い。しかし真っ暗でもない。息遣いがある。一つではない。何人もの、いくつもの。一つはあっち、一つはこっち。ところどころに漏れる息。 何のために息を吐いているのか。舞台の上に立つ自分。それだけではよく分からない。もし、自分が向こうのように観客…

【短話】セメント

セメントは便利だ。 なんでもそこにいれれば、固まってしまえる。僕の弱い心もそこに投げてしまえば勝手に固まるだろうに。 そう俯きながら歩いていると、学校にいくみんなが道中で何かを飲んでいた。 セメントだ。 口を開けながら水筒みたいなものに入れて…

【短話】十秒後

十秒後、何が起こるかわからない。 暗い暗室。 そこに私は閉じ込められたか、自分で入ったのかどちらかである。 角の隅っこにとりあえず背中をつけ、部屋全身の冷たさを感じる。 こうしている間に後七秒だ。 こういうとき、何を考えればいいのかわからない。…

【短話】もしも

もしも、明後日地球に隕石がぶつかったなら。 もしも、明後日お母さんが死んでしまったなら。 もしも、明後日僕の弟が結婚してしまったなら。 もしも、明後日プレステ5が家に届いたなら。 もしも、明後日どっかの中華屋さんが閉店したら。 もしも、明後日誰…

【短話】冷めた月

見上げると、月が雲に隠れていた。 いや、これは、雲が月を隠してしまったに違いない。 そう思って、僕は雲を睨んだ。 すると雲はちょっとびびったのか、薄くなった。 月の光がさっきよりはマシになる。 それでもまだ、雲はでずっぱりである。 僕はため息を…

【短話】塾講師

今日も生徒は一人。 俺は教室入る。 だから机は一つ。 椅子も一つ。 なのに黒板はだだっ広い。 俺が教える時は、その人の知る範囲でしか教えない。 こんな黒板、必要ないのだ。 自分の両手を広げたぐらいの幅の黒板でいい。 そこに、チョーク一本だけでいい…

【短話】喫茶店のトイレ

行きつけの喫茶店には、トイレがあった。 けれど和式。 試しに男女両方を確かめてみたが、ともに和式だった。 和式の便所というのは最初は億劫であるが、実際試してみると意外、あのしゃがみ込む姿勢が楽だったりする。 今椅子に座ってこの文章を執筆してい…

【短話】雑草

今日も俺は、悪いことをしにいく。 近くの公園だ。 そこで俺は、雑草を踏むのである。 いや、踏み付けるのである。 そして、その足跡がどれくらいくっきり残ったかの程度で、今日の点数をつけるのである。 雨の日の翌日であれば、よく跡が付くので、俺は雨が…

【短話】雰囲気販売

「お会計でお待ちのお客様どうぞ!」 明るい声が、店内に響き渡る。列が並ぶ。 「初恋の雰囲気が一点で、二千九百四十円になります。カードでよろしいですね。」「港の雰囲気とカレー屋の雰囲気の二点で、四千七百六十八円になります。現金ですね。」 ここで…

【短話】蜘蛛

今日もいい天気。 そう思って移動していると、急に手足が動かなくなった。 進まない。進まない進まない。焦れば焦るほど、動けなくなっていくのがわかった。 けれど、見えている視界はまったく青い空のままなのである。 すると突然、黒い影が身体の周りを動…

【短話】カレーパン

狭い路地。僕はナイフを突きつけられていた。 別に僕は、大して悪いことをしてない。 ただ、ちょっとコンビニで物を盗んだだけだ。 それが今、こういう事態になっている。 男は、マスクをして、黒いハット帽を被って、何やら話しかけている。 でも、口がもぐ…

【短話】運転

雨の中、男は運転していた。 ふてぶてした顔で、隣に座っている者も、どこをみるあてもないようにいた。 ワイパーを一番早くに設定した。 それくらい、正面が雨ざらしになるのが早かった。 ワイパーは、雨を避けているのか集めているのか分からないぐらいだ…