2023-01-01から1年間の記事一覧
背中の感触が柔らかかった。誰かの笑う声。遠くの方では、嘆く声。悲しい気持ちになったり、嬉しい気持ちになったりする。落ち着いてく気持ちは、ただ分厚い、安心感であった。 日の光が近くにあるだろうことはわかる。それも相当近くだ。けれども、不思議と…
船自体はそれほど大きくなかったが、操縦室と、その奥に倉庫部屋があった。 操縦室の窓ガラスは割れており、そこからハンドルが剥き出しになっている。 僕はその部屋に入った。そこにはたくさんのボタンがあった。船を操作するのに、これほどの数が必要なの…
僕は死ななかった。海に、あの油の海に落ちていったのだ。あれほど遠かった海まで飛ばされたのだ。 落ちた時、衝撃はほとんど感じられなかった。むしろ、包んでくれる感じだったと言っていい。僕の落ちるところを、身構えて待ってくれていたように、海は僕の…
キツネはそれでも首を横に振る。なんでそんなに否定するのさと、僕はまた肩をくすめる。 すると、俺も同じだったからだと答える。要するに、俺も、お前と同じであの果実を取ろうとしたんだ。でも取れなかったから、こんな姿になったんだ。俺は普通の人間だっ…
道をずっと登っていく。砂粒だった道は、次第にその石を大きくし、瓦礫の道になっていく。周りの木々は、隙間の空いた地面から巧みに姿を紡ぎ出し、そこら一体の瓦礫を食べるかのように生えている。 それらの木はどこまでいっても高く登っており、その様子は…
起き上がる。外を見る。子どもたちはそろそろ、各々のビルに戻っていったらしい。 それは、遊んでいた子どもたちだけ。 窓から見える道には、別の子どもたちがいる。遊んでいない。俯いている。 さっきの楽しそうな子どもたちとはうって変わり、そこには苦し…
階段はやけに砂こけていた。足には砂がこびりついている。自分はここで、足裏の感覚を取り戻しつつあった。 次第に昼の匂いが香ってきた。壁には植物の蔦が這い始める。地上に近づいている。光が差し込んでくる。 気づくと、地上に出ていた。光がほとんど出…
船がやってきた。この流れの横幅はそこまで広くない。このままだとぶつかる。 その船は、上流の方、山の頂上からやってきたみたいだった。木の船。何か積んでいるような。 すると、僕のぎりぎりのところで何か竿のようなものを出してきて、底に突っ立てた。…
立ち上がり、ムクっと起きた。外は真っ暗で、蒸気だけが満ちている。 起き上がるだけで、身体が軋む。ずっと寝ていたようだ。それも、死後硬直のように。 目覚めた時、ハッと、息を大きく吸った。その衝撃で、横隔膜が驚いたのか、ずっとしゃっくりが止まら…
足りない。こんな音ではダメだ。ダメになる。 足の震えはまだ治らない。もっと、もっと踏む。足裏が地面にくっつくぐらい。 膝を曲げ、重力に従い、力を込める。足の骨が軋んでもいい。いま、ようやくその音を捉えたんだ。今まで練習してきたのに、ずっと気…
ー僕ー 離れた。離れざるをえなかった。彼女が唾を吹きかけてきたからだ。 僕は彼女の首を絞めていたことに気づく。顔中が、シャワーより細かい感覚で満ちていく。こんなにも唾を浴びたことはなかった。そもそも人に浴びせかけられたこともなかった。 何をし…
嫌そうだった。彼の顔。面倒臭そうにしていた。 私が遅れたのがそんなに?まあ、初めての舞台だし、そう思うのも無理ないけど、それは私だって同じだし、私も緊張してる。外から見たら、私はすごく落ち着いているように見えるけど、結構緊張してるんだから。…
-私- ふらっとした。貧血気味なのか、舞台が始まるとともに、身体が傾く。 彼がセリフを話し始めた。あれ、出だしがいつもと違う気がする。少し焦ってる。少し早口になってるし、体の重心も妙に落ち着きがない。いつもより、セリフの入りが早いような…。 …
繰り返す。踵を上げ、降ろす。上げ、下ろす。体重が、両足二点にのしかかる。ずしんと、自分だけに響く音。 内臓が揺れる。しかし、上下には揺れない。お互い引っ張り合い、上下左右の斜めに動く。遅れて動く。身体全身の動きについてくるように、定まりのな…
頑張ってきた。たった二ヶ月の練習期間。これほど一生懸命、何かに取り組んだのは久しぶりだった。受験勉強以上に必死だった。 入部してから、いきなり脚本を渡され、主役をやってねと言われる。もちろん、脇役を選ぶこともできた。けれど、自分はそこまで言…
静かだった。ホールの様子は、開演準備が整っていた。ただ、お客用の座布団がまだ敷かれていなかった。 座布団を取りに行く。場所はホール内の倉庫。出入り口から入って、左。反対にも倉庫はあるが、そこには照明器具や、主電源がある。 左の方に入る。隅に…
落ち着かなかった。開場三〇分前、ホールの外での自主練。思うように身が入らない。初めて人前に舞台に立つ。観客に伝わる演技というものがどういうものか。そのことばかりが不安だった。 新入生歓迎公演という理由で、大役を頂けたことは嬉しかったが、その…
大きくなる。観客が盛り上がったせいであろうか、先輩の声量が普段よりも聞こえてきた。自分は台本を手に取り、次の出番を確認する。それはメモ書きだらけで、ボロボロだ。端は破れちりじりになっている。セリフの一部には穴が空いて、周りへ皺が広がってい…
暗い。しかし真っ暗でもない。息遣いがある。一つではない。何人もの、いくつもの。一つはあっち、一つはこっち。ところどころに漏れる息。 何のために息を吐いているのか。舞台の上に立つ自分。それだけではよく分からない。もし、自分が向こうのように観客…
セメントは便利だ。 なんでもそこにいれれば、固まってしまえる。僕の弱い心もそこに投げてしまえば勝手に固まるだろうに。 そう俯きながら歩いていると、学校にいくみんなが道中で何かを飲んでいた。 セメントだ。 口を開けながら水筒みたいなものに入れて…
十秒後、何が起こるかわからない。 暗い暗室。 そこに私は閉じ込められたか、自分で入ったのかどちらかである。 角の隅っこにとりあえず背中をつけ、部屋全身の冷たさを感じる。 こうしている間に後七秒だ。 こういうとき、何を考えればいいのかわからない。…
もしも、明後日地球に隕石がぶつかったなら。 もしも、明後日お母さんが死んでしまったなら。 もしも、明後日僕の弟が結婚してしまったなら。 もしも、明後日プレステ5が家に届いたなら。 もしも、明後日どっかの中華屋さんが閉店したら。 もしも、明後日誰…
見上げると、月が雲に隠れていた。 いや、これは、雲が月を隠してしまったに違いない。 そう思って、僕は雲を睨んだ。 すると雲はちょっとびびったのか、薄くなった。 月の光がさっきよりはマシになる。 それでもまだ、雲はでずっぱりである。 僕はため息を…
今日も生徒は一人。 俺は教室入る。 だから机は一つ。 椅子も一つ。 なのに黒板はだだっ広い。 俺が教える時は、その人の知る範囲でしか教えない。 こんな黒板、必要ないのだ。 自分の両手を広げたぐらいの幅の黒板でいい。 そこに、チョーク一本だけでいい…
行きつけの喫茶店には、トイレがあった。 けれど和式。 試しに男女両方を確かめてみたが、ともに和式だった。 和式の便所というのは最初は億劫であるが、実際試してみると意外、あのしゃがみ込む姿勢が楽だったりする。 今椅子に座ってこの文章を執筆してい…
今日も俺は、悪いことをしにいく。 近くの公園だ。 そこで俺は、雑草を踏むのである。 いや、踏み付けるのである。 そして、その足跡がどれくらいくっきり残ったかの程度で、今日の点数をつけるのである。 雨の日の翌日であれば、よく跡が付くので、俺は雨が…
「お会計でお待ちのお客様どうぞ!」 明るい声が、店内に響き渡る。列が並ぶ。 「初恋の雰囲気が一点で、二千九百四十円になります。カードでよろしいですね。」「港の雰囲気とカレー屋の雰囲気の二点で、四千七百六十八円になります。現金ですね。」 ここで…
今日もいい天気。 そう思って移動していると、急に手足が動かなくなった。 進まない。進まない進まない。焦れば焦るほど、動けなくなっていくのがわかった。 けれど、見えている視界はまったく青い空のままなのである。 すると突然、黒い影が身体の周りを動…
狭い路地。僕はナイフを突きつけられていた。 別に僕は、大して悪いことをしてない。 ただ、ちょっとコンビニで物を盗んだだけだ。 それが今、こういう事態になっている。 男は、マスクをして、黒いハット帽を被って、何やら話しかけている。 でも、口がもぐ…
雨の中、男は運転していた。 ふてぶてした顔で、隣に座っている者も、どこをみるあてもないようにいた。 ワイパーを一番早くに設定した。 それくらい、正面が雨ざらしになるのが早かった。 ワイパーは、雨を避けているのか集めているのか分からないぐらいだ…